文学散策/
洛東江 趙明熈(チョ ミョンヒ)
河の流れのように、闘いは止められい
作者は「洛東江とはいったい何か?」、「河(=祖国)辺に住む人間(=民衆)の運命は?」という問題提起からいきなり書き出している。
拷問を受けて体をこわし、保釈出獄となった朴成雲は愛人のローサ(ドイツの女性革命家ローザ・ルクセンブルクにちなんで改名)らともども悲しい舟歌を歌いながら洛東江を渡り村へと帰る。
彼は、ソウルにおける党組織の派閥争いに嫌気がさし「ブ・ナロード(民衆の中へ)!」というスローガンのもとに帰郷し、青年運動、農民運動などに携わったのであった。
市場が開けた日に、ちょっとしたことから市の人たちと衡平社(=部落解放同盟)の人たちとの間で大喧嘩となったが、勇敢に止めに入り、群衆の前で行った朴成雲の熱烈な訴えが強く人々の胸を打った。
「白丁(ペッチョン)もわれわれも皆同じ人間ではないか!…」
衡平社の若い女性ローサもこの日から朴成雲の同伴者となり、ともに戦いに参加することとなった。そして彼女は、朴成雲の死に際して、彼の意思をつぐ決心をかため、多くの活動家とともに次のような挽章をかかげ葬礼に加わった。
「あなたはつねづねわたしに言われました。君は地の底から噴き出る噴火山(噴火山は検閲による伏字部分となる)となれ! そうです、わたしはきっと噴火山になって見せます」
洛東江の滔々(とうとう)たる流れのように、朝鮮人民の反日反植民地の戦いは止めることができないと言うのが問題提起に対する解答なのである。
抱石・趙明煕(1899〜1938年)作の「洛東江」は、「朝鮮之光」誌(1927・7)第69号に発表されたが、伏字が目立った(もっとも解放後、共和国でほとんど原文どおり起こされた)。
翻訳は、現時点で「朝鮮研究」(1966・10)、「朝鮮文学」(1970・10)の大村益夫訳と「新しい世代」(1979年1・2月合併号、3月号)の著者訳があるのみだ。
共和国から出た「現代朝鮮文学選集(11)・洛東江」(1991年)の解説では、民族的な情緒(慶尚道の地方性)とロマンチシズムが特徴的な作品だと肯定的に評しながらも、明るい明日を約束する戦いが具体的に描ききれず、抽象的宣言で終わっていると、その弱点を指摘している。
ちなみにマルクス主義にもとづいた社会主義リアリズムの域を超え、チュチェ(主体)思想にもとづいた主体リアリズムの域に達した最初の作品は、1927年冬に創作公演された「安重根、伊藤博文を撃つ」、「血憤万国会」であると見ている。
趙明煕は、日本留学(東洋大学)時代(1919〜23年)に消極的ロマンチシズムの詩を書き、帰国後(23〜28年)はカップに加盟(25年)し、批判的リアリズムと社会主義リアリズムの小説を、そしてソ連亡命後(28〜38年)は、社会主義リアリズムの詩を書いた。中でも詩「踏みにじられた高麗」はよく知られている。
作家は、ソ連当局によりスパイ容疑で捕えられ処刑されたとのことである(現在は名誉回復)。1989年、平壌で開かれた「第13回世界青年学生祝典」に趙明煕の遺児(娘)が参加した(金日成総合大学・殷鐘變博士談)というが、それがせめてもの救いだと思われる。(金学烈、朝鮮大学校教授、早稲田大学講師)