夫を奪われた朝鮮女性の「恨」を能に
望恨歌 ― 強制連行がテーマ(東京、京都など5回上演)


 「悲惨な歴史忘れまい」

 日本の古典芸能である能が朝鮮女性の「恨(ハン)の心」をどこまで表現できるか。かつての朝鮮侵略によって、日本が行った朝鮮人強制連行を主題にした、異色の新作能「望恨歌」が、93年に東京・国立能楽堂で初演されて以来、昨年までにすでに5回上演されている。作者は能に造詣が深く、免疫学者として国際的に名高い多田富雄東京大学名誉教授(66)。「日本が朝鮮民族に対して行った恐ろしい歴史には、もう記録にさえ現されないひとつひとつの深い悲しみが刻まれている。夫を連れ去られた妻の恨を表現できるのは能しかない」と語った。

 「望恨歌」の舞台は全羅道の小さな村。秋夕の夕暮れ。ここに日本の僧が現れる。戦時中この村から連行され、九州の炭坑で過酷な労働を強いられたあげく、無念の死を遂げた若者の手紙を、妻に渡すためだ。チマ・チョゴリを模した装束を身に纏った老女は、その手紙を月明りの下で読み、嗚咽(おえつ)する。「アア、イジェマンナンネ(ああ、やっとお会いしましたね)」。能の600年の歴史上、朝鮮語による謡いは、初めてのことだ。そして、老女は夫を奪われた悲痛を舞う。


1000年の百済歌謡基調に

                                                                                                                                    多田富雄氏

  「忘るなよ、忘るなよ。忘れじや、忘れじ。かかる思ひはまたあるまじや」。舞い終えた老女は廃寺に消えていく。

 多田さんがこの能を思いついたのは、その2年前に見たドキュメント番組だった。夫を強制連行で奪われた1人の女性が、南朝鮮の寒村でひっそりと暮らしていた。当時、若妻だった女性は、白髪の老婆になっていた。腰が曲がったその老女が、チマ・チョゴリの背に手を組んでスクッと立ち上がった――。多田さんは、この画面に衝撃を受けた。「はっとして、言葉がありませんでした。それまで、本で読み、心にひっかかっていたことに、こんな証人が現れようとは」。

 老女の残像が永い間、多田さんの網膜に焼きついた。

 「悲しみの歴史が1人でスクッと立って、恨を背負っているかのようでした」

 「説明なしに、そこに立つだけで事実の重さを演じ切れるのは、能しかない」

 そう直感した多田さんは、朝鮮関係の資料を集め、手に入る限りの朝鮮の歴史、民謡、打令、パンソリ、民俗誌、現代詩などを読み、現地を旅して、台本を書き上げた。この能の基調となったのは、百済歌謡「井邑詞」の一節である。1000年以上も前から朝鮮半島で歌い継がれてきた民謡だ。

 「朝鮮の恨というのは、日本語の恨みといったものではない。哀しみも恨みも含み、さらにそれを超えた深い心の動き、人間の根源的な情念とでも言うのだろうか。その朝鮮民族の『恨』を表現できるのは、あくまでも人間の深奥世界を長い歴史をかけて形象化してきた能でこそできる。それは、演劇としての能のなすべきことのひとつである」と多田さん。

 過去の負の歴史を封印しようとする日本の中の動きが顕著である。元「従軍慰安婦」の被害者らの証言を否認しようとする勢力も台頭している。多田さんは科学者としての冷徹なまなざしで語る。

 「日本人は常に朝鮮に対する過ちを反すうする必要がある。過去の事実を確認し、記憶を呼び覚ましていかなければならない。あったことを、あたかもなかったかのようにしてこのまま忘れ去ると、また、悲惨な歴史が繰り返されることになる」と。

 作家の岡部伊都子さんは最新刊「能つれづれ心の花」 檜書店、TEL 03・1329・2488 で、「望恨歌」を見た感動を「しんしんと、人の心をうつ地謡の展開に、朝鮮のみ魂を踏みにじりつづけた日本人のわが悲しみがしぼられます」と記している。  (朴日粉記者)

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