私の会った人

大塚初重さん


 戦後考古学の揺籃期からほぼ半世紀にわたって積石塚、前方後円墳などの古墳研究をリードしてきた考古学者。日本考古学協会会長、日本学術会議会員などを歴任した同氏は、今後、朝鮮の鴨緑江沿いの積石塚はじめ、できるだけ東アジア全域にまたがる遺跡の現場に足繁く通いたい、と夢を膨らませている。

 「積石塚の発掘を手掛けて半世紀近くなるが、朝鮮半島から人とモノが古い時代にも来る。その次にも来る。何世紀にもわたって波が押し寄せるように日本にやってきた、ということが言える。海こそ文化の潮であり、導き手なのです」

 考古学を学んだきっかけは、悲惨な戦争体験にあった。1945年4月、海軍1等兵曹として、佐世保から中国に向かう途中、乗っていた船が、米軍の魚雷攻撃で爆発炎上。500数十人中、助かったのは100人ほど。「冷たい海に放り出され、一昼夜、黄海上を漂いながら、それまで学校で学んだ『神国日本は不滅』の皇国史観はウソだと思った。もし再び生還できたら、歴史教育に身を捧げ、子供たちに正しい科学的な歴史を教えようと心に誓ったのです」。

 「日本の積石塚のルーツは朝鮮半島」と明快に主張してきた。しかし、日本の考古学界は、長い間そのことをあいまいなままにしてきた。「この道を歩き続けて52年経ちました。様々な発見や研究の進展にともなって、今うれしいのは『おれの時代になった』という実感をもてることです」と破顔一笑した。(粉)

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