知っていますか-朝鮮半島なんでも初めて
世界初の新聞「朝報」
15世紀初、日刊紙で有料
王命や人事、農業状況掲載
日常生活に欠かせない新聞。日本は世界1の発行数を誇る新聞大国である。朝夕刊合わせて7000万部になる。
ところでこの新聞、世界で初めて発行されたのは朝鮮半島だった、といわれている。時期は15世紀初め、朝鮮朝の中宗の頃で、新聞は「朝報」と呼ばれた。
国内で起きた様々な事件、出来事とそれに対する政府の処理の状況を知らせることが目的だった。
しかし、現在のように新聞の題字や各面ごとに記事の種類が分類されていたわけではなく、紙に日付けが記され出来事を羅列した簡単なものであった。今日の新聞の原型といえる。
では、「朝報」はどのような工程、手順で発行され、読者の目に触れたのか。
「朝報」は日刊紙で毎日、午前中に制作、発行された。発行所は承政院という官庁で、現在でいう大統領秘書室、内閣官房に相当する部署である。
王の命令はすべてここを通じて発令され、また王への報告書なども承政院を通じて上げられた。
制作は、まず承政院が記事の収集、選別を行う。ニュースソースは承政院に入ってくる文書情報である。その中からどの記事を載せ、どれを省くのかを決定し、記事を特定の場所で発表する。
ニュースは、王の命令や指示事項、官吏の昇進・解任、就任、休暇、病欠、死亡者などの人事・動静、各地方の農業状況、天気などで、とくに農業に大きな影響を与える降雨量や初霜の降りた日は、必ず掲載された。
発表場所には、早朝から各官庁の担当者が出向き、記事が発表されると急いでそれを書き写し、所属官庁に持ち帰り必要な部数を書き写して傘下の機関に送る。傘下の機関も必要な部数を書き写して配布した。
ソウルの読者たちはこのような過程を通じて毎日、「朝報」を手にし、地方の読者たちは地方官庁のソウル駐在員である「京房子」を通じて5日、10日分とまとめて読んだ。むろん無料ではなく、有料だったという。