「たからもの」 康明淑
ヨンヒとヒャンニョが突然たずねて来たのは去年12月の中旬。今にも空から雪が降ってきそうな寒い日だった。
彼女たちは東京朝鮮高級学校合唱部のOBで、私の長女の2年先輩になる。2人とも卒業後、東京朝鮮歌舞団に入団し、若手のトンポアーティストとして活躍している。イベント企画などで何度か一緒に仕事をしたことがあった。結婚式やトンポたちの集まりで会うたびに、歌も上手になり、またきれいになり、その成長ぶりに驚いている。 そんな実の娘のような2人から、「お願いがあるんです」と切羽詰まった電話をもらい、お昼時間に会社の向かいにあるファーストフードで会うことになった。 席に着くなり、彼女たちはミルクティーに口をつけることも忘れていっきに話し始めた。東京朝鮮歌舞団が創団35周年を迎え、4月に行う記念公演の準備をしていること、自分たち若い世代の思いを託したオリジナル作品を披露したいということ等々。 「どうしても歌詞がうまく書けないないんです」と、ヨンヒが1冊の大学ノートを広げた。ページいっぱいに走り書きした小さな文字。そこには、直面する現状は厳しいけれど頑張ろうという在日3世、4世の思いが綴られていた。熱い意気込みが十分に感じ取れた。 すてきな表現を選び、韻を踏んでやれば、よい歌詞になるかも知れない。でも、どこかそれは彼女たちが本当につくりたい歌ではないような気がした。希望とか未来とか、大きなテーマではなく、もっと身近な思いを綴ってほしかった。 「ヨンヒとヒャンニョは、どうして歌舞団で歌っているの?」 2人は小さいときからウリノレ(朝鮮の歌)が大好きで、オモニやハッキョ(学校)で習ったウリノレでトンポ(同胞)社会に少しでも貢献したいと思って入団した。歌舞団生活の3年間、辛いこともあったけれど、トンポたちの拍手やトンム(友達)の応援に支えられて、今日まで歌ってこられたと話してくれた。 「2人にとって歌はたからものね」と笑いかけると2人の目がキラリと光った。そのとき私は、良い歌ができるとひそかに確信した。それからというもの、年末の大掃除の真っ最中や年明けの初出勤の山手線の車中など、彼女たちからの「ラブコール」が続いた。その都度、所かまわず歌詞をそらんじてみながら、乏しい知恵を絞ってみた。 桜のつぼみがやっとふくらみ始めた3月のある日、2人が創団記念公演のチラシと招待状を持って、ふたたび訪ねてきた。 「やっと曲が完成しました」と2人はとてもうれしそう。楽譜を見てもメロディーがうかばない私のために、会議室の隅でホヤホヤの新曲をこっそり披露してくれた。 「ヨンヒ、ヒャンニョ、おめでとう。あなたたちこそウリトンポのたからものよ」 私はアドバイザーとしての力不足を反省しつつ、ともに悩んだり喜んだりしながら、彼女たちのまっすぐでピュアな感性に触れて、さわやかな体験をしたことを本当にうれしく思っている。 それは、私にとってもかけがえのない「たからもの」である。 (詩人) 【原稿募集】 「女性・家庭欄」では「オモニの懐、アボジの背中」の原稿を募集しています。ふるってご応募ください。アボジとオモニのどちらのエピソードでも構いません。 掲載原稿には薄謝をさしあげます。字数は1000字ほどです。 氏名、年齢、職業、電話番号を明記の上、「女性・家庭欄」と明記してください。 (FAX03・3268・8583) |