理想の老い

元気印のハルモニたち


分会長40年、バトンを嫁たちに/権福善さん(87)

  女性同盟京都・右京支部権福善顧問(87)は、顔もあでやかで、言葉も明快。素敵な笑顔に思わず引きつけられる。「偉いハルモニ。こういう風に年輪を重ねたいと思うお手本のような人だと思う。筋の通らないことをするとビシッと叱られる」と長男・金元燮さんの妻、姜栄子さん(60)。

 それもそのはず、権さんは女性同盟右京支部西院分会長を40年間全うし、10年ほど前、そのバトンは姜さんに、現在は2男の妻・林朝子さんへと引き継がれている。「韓徳銖議長から表彰され、金日成主席の名前入りの時計を贈られた時、(分会長を)お嫁さんに引き継ぎなさいよ、と励まされた。それが叶ってうれしい」と相好を崩す。

 夫の故金秉R氏との間に4男3女をもうけ、孫は24人、ひ孫は3人。一番の幸せは「共和国に帰国した息子と娘に会いに、毎年平壌を訪ねること」だと話す。「ハルモニは今年も平壌に行く準備をしています。お金をコツコツ貯め、服を買いだめて、祖国の子供や孫たちの喜ぶ顔を見るのを楽しみにしています。艱難辛苦の人生を送ったハルモニが今、幸せでいるのが、私たちにとって何よりです」と姜さん。

 権さんは1913年、慶尚南道熊川に生まれ、鎮海に嫁いだ。21歳の時、渡日。「日本に来てからも大阪で空襲にあったり、台風や大洪水で死ぬ目にあったり。祖国の解放直後、故郷に帰ろうと荷物を全部船に乗せたら、下関でその船が沈没して、全財産がパーになったこともある」

 そして、また京都に帰ってきた。夫は京都七条朝聯学院の院長として、愛国事業に献身していった。「その代わり暮らしや家族のことまで手が回らない。私にまかせっきりでした。家計はいつでも火の車。子供に民族教育を受けさせるために豚を飼ったり、セメント工場でも働きました」。

 女性同盟右京支部の「順福委員長(56)はこう語る。「同胞のために尽くしてきたハルモニは、本当にすばらしい人。成人学校で朝鮮語を学び、今では朝鮮新報をスラスラ読んでいる。苦労したのに、それを顔に出したことがない。祖国を愛し、組織を愛し、いつでも同胞と苦楽を分かち合った。地域の同胞たちのたからものです」。(粉)

チャンゴ習って、話して、笑って
崔順岳さん(87)、高五生さん(79)


元気に清水寺を散策(中央が崔さん、左端が高さん)

 桜が舞い散る4月16日、京都で「朝鮮文化をたずねる会・イン清水寺」が開かれ、150人ほどの日本市民と共に10数人の同胞らも参加した。

 その参加者の中には、女性同盟京都・南支部 崔順岳顧問(87)と 高五生顧問(79)の姿があった。

 2人の顧問は女性同盟南支部委員長を長く務め、今は悠々自適の身。2人の楽しみは毎日支部に顔を出して、長寿会のハルモニたちと御飯を食べたり、話をしたり、チャンゴを習って汗を流すことだと笑う。

 崔顧問は15年前に委員長を退いた。夫が脳いっ血に倒れ、長く看病に当たった。その夫も亡くなり、今は1人暮らし。その崔顧問の1日を聞いて見ると―。

 朝5時に目が覚め、TVをつけ、コーヒーを沸かす。7時に簡単な朝食を取り、朝鮮新報を読み、ゆったり過ごすのが至福の時。

 「新報を毎日、じっくり読むのが日課です。この頃面白いんだけど、少し漢字が多くて読みづらい感じもしています。ハルモニ向けにもう一工夫してほしい」

 午前10時過ぎにバスに乗って南支部へ。ここで午後4時まで過ごす。支部の昼御飯作りは高さんが担当。現役の頃からの習慣だ。

 「毎日、おかずもないんだけど、委員長はじめ活動家たちがおいしいと言ってくれるので作りがいがあります」と高さん。

 帰宅すると、夕食の準備。食べて、夜8時過ぎには眠くなる規則正しい暮らしぶりだ。崔さんと高さんは、今年も花見をしながら、チャンゴを打ち鳴らし、健やかな老後の暮らしぶりを披露した。その姿は同胞らの元気の源となっている。

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