知っていますかー朝鮮半島 なんでもはじめて
将 棋
朝鮮朝中期以後に表記 将棋(チャンギ)は、囲碁(パドゥ)と並ぶ民衆娯楽の1つである。では朝鮮半島でいつ将棋が行われるようになったのか、についてはつまびらかではない。 将棋という表現が使われるようになったのは、朝鮮朝中期以後といわれている。中宗(1506〜44年)の時代、沈守慶が書いた「遺閉雑録」の雑技を説明するなかに、初めて将棋という言葉が出てくる。そして、「将棋は車・包・馬・象・士・卒を使用し、木を磨いてそこに文字を彫りつけた後、彩色する」と説明している。 また、将棋に関する文献としては、宣祖(1567〜1608年)時代、張維の書いた「象戯志」が広く知られている。 それ以前は、「象戯」(サンヒ)と表現されていた。この言葉は中国から由来したものといわれ、「象棋」(サンギ)、「象奕」(サンヒョク)とも呼ばれた。 日本にも将棋はあるが、遊び方はまったく違う。 まず、将棋盤は碁盤に似た大きさの木板を使う。駒は八角形をしており、漢と楚の組に分かれそれぞれ16、計32の駒を使って勝敗を競う。 駒は将が1つずつ、車、包、馬、象、士が2つずつ、卒が5つで、漢側の駒は楷書で赤色、楚側は草書で緑色が塗られており、その色で識別する。駒は将がもっとも大きく、車、馬、象、包は同じで、士、卒はこれらより小さい。 対座した2人のうち、「老紅少青」、つまり年長者(あるいは実力が上の者)が赤色の駒を持つのが普通である。 駒の進め方は例えば、車は前後左右にいくつでも進める、包は前後左右にいくつでも進めるが、必ず駒1個を飛び越えなければならない、などと決められている。 日本の将棋は取った駒は何回でも使えるが、朝鮮将棋では使えない。そして、相手の漢将、楚将の逃げ場をふさいでしまった方が勝ちとなる。日本の将棋は王手だが、朝鮮では将也(チャンイ)という。 |