ソクタム―ことわざ辞典

仰臥して唾を吐く


 「仰臥(ぎょうが)して唾(つば)を吐(は)く」 あおむけに寝たままで唾を吐くと、唾はそのまま落ちてきて自分の顔を汚してしまうという意味で、自分の行いによっては悪い結果を招くことを戒めている。

 朝鮮の昔話には、仏教的な教えとして因果応報を説く話がたくさんある。応報は、仏教以前の儒教の「孝」などの思想を大いに取り入れることによって、民衆のなかへと浸透していき、今でも生活の指導原理として少なからず語り継がれている。

 昔、あるところに住んでいた継母とその娘が義姉をことあるごとにいじめていた。義父、つまり義姉のアボジ(父)が死んでしまうと、単なる嫌がらせを超えて、妹のいじめの度は増すばかりであった。毎日泣き暮らす義姉であったが、ある日、1人の貴公子が義姉を嫁に迎えたいといって連れていった。

 何ヵ月かして妹は、結婚した義姉がいったいどんな生活をしているのかと見に行った。そこで、夫婦仲もよく、互いにいたわりあいながら生活している義姉の姿を見て、妹はすっかり魅せられてしまった。妹は、何とかして義姉の地位にとって代わって貴公子の嫁に自分がなろうと考えた末、義姉を連れ出し殺そうと思い付いた。結果、妹は、義姉をだまし、とうとう大きな川へ突き落として殺してしまった。その日のうちから妹は義姉に代わって貴公子の嫁になったのだ。

 ところが、死んだはずの義姉が家に現れ、貴公子の嫁になりすましているのは実は妹であることを知らせた。これを知った妹はオモニ(母)に相談しに帰ると、オモニは実子である妹を義姉と間違えて塩漬けにしてしまった。

 これは、まさに因果応報の象徴ともいうべき物語である。

 また、こういう話もある。昔、山人参を掘って生業をたてている金という男が仲間2人と一緒に白雲山の奥深く出かけた。体に大縄をまき底地に降りた金が山人参を採取してつりあげると、頂上にいた2人は利益を自分たちで独占しようと、縄を切って、金をそのまま放置してしまった。

 そのとき、大蛇が現れ、「私の尻尾につかまって上がりなさい」と、金を救うのだった。

 金は帰り道に自分をうらぎった仲間2人が大きな樹の下で死んでいるのを目撃した。まさに、天罰が下されたのである。  

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