ざいにち発コリアン社会

民族養うハングル書芸
普及に務める高麗書芸研究会


年に2回講習会、全国巡回展も/展示作品は延べ500点

 在日コリアン社会では近年、ハングル書芸(民族書芸)が人気を集めている。その普及に努めている高麗書芸研究会は、1989年4月、「同胞どうし団結してハングル書芸を発展させていこう」と、13人の同胞書芸家と愛好家らによって結成された。以来、東日本、西日本地域でそれぞれ年2回の講習会と、2年に1回の全国巡回展を開いている。

 一方、94年と98年の夏には朝鮮での講習会も企画。平壌美術大学のオ・グァンソプ書芸講座長からたっぷりと手解きを受けた。さらに97年にはオ氏が訪日し、各地で講習会も開催した。その過程で、ハングル書芸を楽しむ愛好家が増えた。また研究会会員らは各地で教室を開いたり、朝鮮学校でも教えている。

 その結果、これまで展示会では延べ500点を超える作品が展示された。

 研究会副会長の申英愛さんは、「会ではハングルの歴史や李朝時代の歴史などを学びながら書を創作するので、民族心を養うのにも大きな役割を果たしている」と力説する。

 8月には中国を訪問し、延辺朝鮮族書法家協会と初交流会を行う予定だ。

善し悪し左右、「奥深い魅力」 ○│─(マル、タテ、ヨコ線)をどう表現するか

都内で一日講習会板本体(ハングル創制時の書体)学ぶ

 ハングル書芸の特徴は、ハングル創制時の字体である板本体、印刷字体の青峰体など書体が多く、自由に個性的な字が書けること。また生き生きと躍動感あふれる字、雄壮で力強い字、柔らかく優雅な字、清楚で品のある字など、表現方法も多彩だ。

 漢字と比べると、画数はそれほど多くない。斜め線も少なく、縦や横、丸の線が基本をなす。

 東京都北区立赤羽文化センターで14日に行われた高麗書芸研究会主催の東日本1日講習会では、国文研究者の呉南現氏による講演(「ハングル誕生物語」=別項参照)後、板本体の実技が行われた。「訓民正音」が刻まれた板本に書かれた文字というのがその名の由来。

 板本体は、文字をマス目の中に止めなければならないため角張ったような文字になる。1文字の中に横や縦の線がそれぞれ2本以上ある場合は、長さを合わせるのがコツ。また横線は、出発点より上に上がらないようにもする。丸は右斜めから円を描くのが基本だが、左右双方から2回にわけて書くこともある。

(坂本体)                                                
                                             (青峰体)
 

 ハングル書芸は独学で学んだという尹寿美さんは、栃木から3人のオモニたちと初めて参加した。「ハングルの歴史について深く学んだのは初めて。権威ある文字だと思うと、軽い気持ちでは書けない」と語る。

 また前回の講習会に続いて千葉から参加した李浩善さんは、日本の書芸を専門的に学び、段も取得している。「漢字は画数が多く、斜め線が多いため綺麗に見せやすいが、ハングルの線はほとんどが縦と横と丸。その線をいかに表現するかによって、書の善し悪しが左右される」と言う。

 研究会副会長の申英愛さんは、「書芸には、創作者の風格、知識の程度、趣味、性格などが反映されると言われる。それぐらい奥が深い。読者の皆さんも筆をとり、在日コリアンの生き様などをハングルでうつしてみては」と述べていた。 (羅基哲記者)

1446年に生まれたハングル 

 ハングルが生まれたのは、1446年である。「訓民正音」という名で発表された。それ以前は、中国の漢字を使用していた。しかし漢字を学べたのは、身分の高い者だけだった。そこで李朝4代王世宗は、即位した翌年の1419年、23歳の時に、民族独自の国文字を創制し、それを実用してすべての民が文字生活を送れるようにするため、宮中に正音庁を設置し、国文字を制定する命令を下した。研究には8人の学者が取り掛かり、24年後の1443年に本文が完成。そして1446年に解説書とともに発表された。40の子母音からなり、子音の形は発音器官の形を基にしている。

TOP記事 健康・趣味 社  会 社会・生活