高麗家プリンス≠フ広開土王碑参観


父祖の地への憧れ

 5月14日、日朝友好運動に取り組む多くの人々と一緒に、埼玉県日高市の高麗郷を訪ねた。

 東アジアの一大強国だった高句麗は668年に唐・新羅連合軍の侵略によって滅亡する。その前後、高句麗の一部王族や遺臣たちが、難を逃れて日本に渡来してきた。彼らは関東各地に住み着く。76年、奈良朝廷は、彼らをこの辺りに集め、高麗郷とした。郡の首長を命じられたのが、高句麗の王族の1人、若光だった。

 その若光をまつっているのが、高麗川の清流を望む地に鎮座する高麗神社である。現在、宮司は、1927年生まれの高麗澄雄氏。若光の直系の子孫で、59代目。「高麗氏は若光歿後、長子家重が家を継いで以来、今日まで59代相伝え、連綿として正系を保っている」( 高麗神社と高麗郷 )日本最古の名家だ。若光の直系の子孫だけが、高麗姓を名乗って代々この神社の宮司を務めている。

 今回の旅で「高麗家のプリンス」・60代文康氏(33)の話を聞く機会に恵まれた。

 「前に高句麗の故地・集安(現在は中国・東北地方)に行って、好太王(4世紀末・広開土王)碑文を見てきました。その前に立った時、日本広しと言えどもここまで自分の先祖をたどれるのは私だけだろうなと思ったら、よい気分でした。韓国にも行きましたが、あそこは百済と新羅。親しみは全然違います」。機会に恵まれたら、父祖の地朝鮮民主主義人民共和国を訪れて、高句麗壁画古墳を見てみたいと目を輝かす。

 境内で週1回、朝鮮語教室を開くなど時代にあった新しい試みにも意欲的だ。「東アジアの視点で、改めて日朝交流や高麗家の歴史を振り返ってみたい」とさわやかに語った。 (粉)

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