「17歳の凶行」(下)/ 慎栄根
民族的アイデンティティーを視野に入れて
毎朝、報じられる青少年犯罪のあまりの多さとその内容のすさまじさに大人たちは言葉を失い、理解の糸口すらつかめずに途方に暮れている。未来に対する絶望感さえ抱かせるこの様な社会において、在日朝鮮人の親たちに出来る事は一体何であろうか。 「言うべきことを言う」ことが大事 若者文化の同調を防がなければ・・・ これらは、現在日本の社会、教育および家庭の崩壊に根ざすものであり、巷に吹き荒れる様々な青少年犯罪の温床となっているとともに、ひとり若者のみならず社会全般に広くまん延している「時代の空気」でもある。この様な状況において、われわれがなすべき事は子供たちに民族的な自覚と在日の問題意識をはっきりと持たせることによって、日本の青少年が持つ一般的な価値観や若者メディアが撒き散らす「ジョーシキ」を無批判に取り入れる事を抑制する事であろう。 自らが何者であるかを自覚し、どのように生きるべきかを考えるようになったとき、在日の子供たちは同世代たちの意識や文化に盲従する事をやめ、その当否を自らの視点や価値観によって判断する事が可能になるであろう。この様な意味において、ウリハッキョにおける民族教育はその存在意義がよりクローズアップされるべきであり、同時に民族的アイデンティティーの確立よりも学歴や資格の獲得を優先させる事の危うさが改めて認識されるべきなのである。 こんにち、子供たちが置かれている危機的状況を鑑みると、彼らを在日朝鮮人として「特殊化」し、民族意識や同胞社会の中に「囲い込む」事によってすべて解決出来るものではないと思われる。 日本の親たちに求められているのと同様に、われわれもまた子供たちの正面に立ち、彼らとぶつかり合いながら守るべきモラルや継承すべき価値観を伝えて行かなければならない課題を背負っているのである。そのためには、単に人間として「やってはいけない事」を教えるという消極的な「しつけ」にとどまらず、より踏み込んで「青少年はこうあるべきだ」という「親の意見」や「大人の要求」を積極的に提示する事が必要となる。 親や大人が理想を棄て、指導する事をやめたとき、子供たちは独自の原理によって行動するようになる。その原理は、若者たちの価値観や先行する同世代の犯罪行為によって許容範囲が拡張され、いとも簡単に「なんでもあり」へと転化する危険性をはらんでいる。 彼らを責任を持って育てるのは大人たちの義務であるし、我々は「言うことを聞かなくなった若者」を憂う前に、自らが「言うことを言わなくなった大人」になっていないかどうかを厳かに戒めるべきであろう。と、同時に「言うことを言えなくなった大人」にならないよう自らの行動に責任を持ち、モラルや生き方のモデルになるよう努力しなければならないのは言うまでもない。 (シン・ヨングン、朝鮮大学校教育学部教員) |