歴史的な平壌対面と最高位級会談
喜びにわく在日同胞
「分断」、2度と見ないことを/金潤順(月刊セセデ副編集長) 1989年、高校3年の夏、平壌で行われた第13回世界青年学生祭典(平壌祭典)に朝鮮学校生徒の代表として参加した。当時は統一運動が朝鮮半島だけでなく、日本でもかつてなく高まっていた。全国大学生代表者協議会(全大協)の代表として、南から参加した林秀卿オンニとともに、白頭山から板門店まで統一行進をした。最年少だった私を「チビちゃん」と呼び、とても可愛がってくれた秀卿オンニが38度線を越え、連行された光景が今でも目に焼き付いて離れない。初めてこの目でみた「分断の現実」だった。 今回、南北で初めて最高位級会談が開催されることによって、朝鮮民族が統一へ向かって一歩でも近付けたらとてもうれしい。「分断の現実」をこれからの世代が決して味わうことのないことを心から願っている。 在日同胞の団結に拍車/金錠熙(総聯京都、右京支部非専従副委員長) 南北間の歴史的な平壌対面と最高位級会談の開催は、国の統一を願う在日同胞にとっても希望と喜びを与えてくれる、歴史的な出来事となる。 総聯支部管下の同胞らのなかでも、この話が連日、話題となっている。 京都では1993年11月、平安建都1200年のプレイベント「京都1200・四条ひろば93」に、総聯と民団が合同でワンコリアパレードを催した。これは両団体府本部が始めて合同で催した行事で、思想、信条、団体を超えまさに民族が1つになる重要な契機となった。 今回の一連の出来事が、民族の和解と団結、交流と協力、平和と統一を実現する大きなきっかけになれば、在日同胞が団結する場も拡大し、民族大団結により一層の拍車がかかるだろう。 ネットワーク大事に/朴源用(海津産業代表取締役) 97年にキューバの首都ハバナで行われた第14回世界青年学生祭典に代表として参加した時、南からたった1人で参加した女学生と話をしたことを思い出す。世界的な祭典だっただけに、分断している祖国のこと、在日同胞としての自分を含めてグローバルな視点が必要だと思った。 南北統一は、在日同胞のビジネスの枠も大きく変えていくはずだ。 今まで父母ら1世が、祖国にささげてきた愛国的な思いを忘れないで、それを受け継ぐ世代として、これからの役割は、個人レベルではなくて、30代、40代を中心としたネットワークを大事にしながら、統一朝鮮に寄与していきたい。 同じ血の通う同じ民族/成都権(広島朝高2年) 初級部6年生の時、中四国選抜チーム「8.15高麗」の一員として、広島で開かれた府中カップに出場した際、釜山市徳川国民学校の選手たちと対戦した。試合は5対1で負けてしまったが、その日、僕らは彼らが宿泊している部屋にお菓子を差し入れした。生まれて初めて話をし、僕の朝鮮語が通じたことにとても感動した。彼らと楽しく笑い合ったことが今でも忘れられない。僕は大好きなサッカーを通して、彼らと交流を深めることができたことを今でもとてもうれしく思っている。 その時、たとえ住む場所が違っても、同じ民族の血が通う朝鮮人なのだということを改めて強く実感したのを覚えている。 祖国が統一し、また彼らとサッカーができる日が来るまでもっとうまくなって、今度は必ず勝ちたい。 |