春・夏・秋・冬

 ほおずりしあう金正日総書記と中国の江沢民主席の画像を見ながら、一瞬あの場面を思い出した。89年3月、金日成主席と訪北した文益煥牧師が対面し、満面に笑みを浮かべながらほおずりしあう場面だ。そのとき、高鳴る胸を押さえることができなかったのは筆者だけではなかっただろう

▼それこそ胸襟を開いて、民族の未来を熱っぽく語り、95年を「統一元年」にしようということが話し合われたことが、まるで昨日のことのようだ。北と文牧師の間で交わされた4.2共同声明は、一方が他の一方を力をもって圧倒することを意図する限り、南北は共に不幸に陥らざるを得ないという、ゼロサム・ゲーム的思考を否定する精神で貫かれたものであった

▼が、「統一元年」を見ずに、金日成主席は94年の7月8日に逝去した。その半年前、1月18日には文牧師も亡くなった。もし、金日成主席の突然の逝去がなかったとすれば、そして当時、南当局者の手のひらを返すような態度のひょう変、金日成主席に対する悪ばのキャンペーンがなかったとすれば、「統一元年」は全民族の歓呼の中で受け入れられ、実体として私たちの前にその姿をあらわにしていたのではなかったか

▼今回の最高位級会談で、4.2共同声明の精神がどう反映されるかを見守りたい。文牧師の獄中書簡集「夢が訪れる夜明け」にこんなくだりがある。「互いに憎み、だます機会ばかり探している2人を、それがたとえ夫婦であっても、強制的に1つの囲いの中で住まわせるような統一は、統一ではありません」     (哲) 

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