霊通寺址を発掘

開城市に所在する寺院址

社会科学院・考古学研究チーム


 民主朝鮮紙(8日付)によると、社会科学院・考古学研究チームによって、朝鮮の歴史で初の統一国家として知られる高麗時代(918〜1392年)の仏教寺「霊通寺」址(本欄、3月22日付で紹介)が当時の首都、開城市龍興洞で発掘され、4万平方メートルにわたる全ぼうが明らかになった。

 発掘作業は、1998年から99年まで行われた。

 霊通寺は高麗時期、仏教の一種である海東(朝鮮)天台宗の創始者として名高い学者で僧侶の義天(1055〜1101年)が活躍し生涯を終えた所として知られている。

 発掘当初、残っていたのは義天の墓と碑石、五重石塔と2つの三重塔、幢竿(憧幡を掲げる竿柱)と僧侶の墓の区域のみであった。

 研究チームは、義天の墓と西側伽藍(がらん)区域、東側伽藍区域、僧侶の墓の区域に対する全面調査、発掘を行い、その全容を明らかにした。調査によると、霊通寺址は寺の入り口区域と建物址区域、義天の墓と僧侶の墓の区域などに大別される。また、西側区域からは五重石塔をはじめ南門、中門、本堂、講堂、書院(または客殿)と見られる建物、縦90メートル、幅50メートルの回廊、東側区域からは先代王の画像の保存が認められる建物と礼拝堂、北門から少し離れた場所には庫裏(くり)の址が現れた。

 遺物としては、小型石塔、仏像の頭髪造形品、鉄の仏像、石像の頭部をはじめ、各種の珠、瓦、高麗磁器、金属器などが出土した。同紙は、今回の発掘について「高麗時期に繁栄した仏教文化研究上、重要な意義をもつ」と指摘した。

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