開かれた扉 南北新時代(3)

3大原則実践する連邦、連合案
統一設計図の接点見い出す


 朝鮮分断55年の歴史のなかで南北の最高指導者が、祖国統一方案について見解を同じくしたことはなかった。それどころか、方案に対する論議すら、当局間ではまったく行われなかった。つまり互いが別々に統一の地図、青写真を持っていたことになる。それが今回、初めて共通した統一設計図を、初歩的段階ではあるが持つに至ったのだ。これによって、統一問題は具体性、現実性を帯びるようになった。

統一志向で一致

 現在、南朝鮮では連邦制と連合制がどう違うのかといった論議が盛んだが、南北双方が互いの統一方案の共通性を認識し、「統一を志向する」と確認したことで、これらの論議は無意味だと言える。

 ちなみに、連邦政府は2つ以上の地域政府で構成された国家を、国家連合とは2つ以上の国家が条約によって結合した形態を指す。

 しかし、英連邦のように加盟各国が独自に国家元首選出、外交、軍事統帥権を行使している連邦もあれば、ヨーロッパ連合のように、外交、軍事統帥権を一本化しようとしている連合もある。重要なことは、連邦制であれ、連合制であれ、統一を志向すると言うことだ。

 南北共同宣言の第2項では、「北と南は、国の統一のための北側の低い段階の連邦制案と、南側の連合制案が互いに共通性があると認定し、今後、この方向で統一を志向することにした」と宣明した。

地域政府に外交権も

 北の連邦制案とは、高麗民主連邦共和国創立方案を指す。

 金日成主席が、1980年10月に発表した同方案は、南北が相手の思想と制度を容認して双方が同等に参加する統一政府を組織し、そのもとで地域自治制を実施しようというもの。1民族、1国家、2制度、2政府だ。

 共同宣言で明らかにされた「低い段階の連邦制」について、具体的に明らかにされたものはないが、地域政府にさらに多くの権限を与えるものと思われる。

 金日成主席は94年4月、ある在ドイツ僑胞人士との会見で、「連邦制統一国家において、国防と外交は一定の期間、北と南がそれぞれ自己の現在の体制をそのまま維持し、北と南の間に和解が進むのに従って漸次的に軍隊をそれぞれ10万人程度に減らすのがよいでしょう」と述べている。

 これに先立って金日成主席は、89年4月、南朝鮮の統一運動指導者の文益煥牧師との会談で地域政府が外交権、軍事統帥権を持つことも可能だとの認識を示し、91年の新年の辞で、それを明確に表明したことがある。

吸収統一案の放棄

 一方、南側の統一方案としては、金大中大統領が野党時代に発表した(1)南北連合段階 (2)連邦段階 (3)完全統一段階を内容とする3段階統一論と、89年に盧泰愚大統領が発表した「韓民族共同体統一方案」があり、金大統領は「韓民族共同体統一方案」と3段階統一論とは同じだと述べている。

 ここに、1つの懸念が残る。というのは、これまでの「韓民族共同体統一方案」が、「自由民主主義体制による統一」、つまり北を南側が吸収することを前提にしたものだからだ。

 南北双方が、それぞれの社会主義制度、資本主義制度を放棄しようとしない現状で、一方がもう一方を吸収するためには、力による解決しかない。力による解決は、これまでの分断の歴史が示しているように反目と対決を生み、ひいては朝鮮半島を再び廃墟にしてしまうだろう。これは朝鮮民族にとってもっとも不幸な選択肢で、絶対に避けなければならない。

 しかし、共同宣言では南側の連合制案が「統一のための」「統一を志向する」ものと位置付けており、これは南側の連合制案が従来の「吸収統一案」ではないことを明確にしたものと考えられる。

 南側特別随行員として金大中大統領に同行した高麗大の姜萬吉名誉教授は帰還後、ハンギョレ新聞のコラムで、連邦制案と連合制案のどちらが優位かをただす必要がないとの考えを明らかにし、重要なのは(1)統一認識と統一方案が実事求是(事実に即して真理・真実を探求すること)的になったこと (2)平行線をたどっていた連合制案と連邦制案が徐々に歩み寄り、接点を持てるようになったこと (3)統一方案が初めて南北当局者間で合意されたことだと指摘している。

 7.4共同声明で双方が確認した統一の原則、それを具体的に実践する第1歩が、低い段階の連邦制であり、連合制なのだ。
(元英哲記者)

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