開かれた扉 南北新時代(4)

政治の壁越える離散家族再会
宣言履行の確固たる意志


 15年前の9月、平壌とソウルで離ればなれになった肉親が、40年ぶりに再会した。平壌でも互いに名前を呼び合う感動的な場面が繰り広げられた。が、それは束の間だった。相手側の体制に対する中傷が始まったのだ。

15年前の体制中傷

 ほとんどが南朝鮮に故郷を持つ在日朝鮮人も、離散家族だと言える。しかし、南北の離散家族は、在日同胞とは事情が違う。在日同胞が日本の植民地支配の結果であるのに対して南北の離散家族は、対決と分断の結果、生まれ、そのほとんどは北から南に逃げてきた人々だ。

 南への逃避行には、分別のない頃に親や親戚に連れて来られた、原子爆弾を投下するという米国の宣伝を信じた、元地主で土地を失った、社会主義制度に反対したなど千差万別の理由がある。

 ところが、南朝鮮当局はこうした離散家族を一緒くたにして「北の社会主義制度に反対して南に逃げてきた」勢力と位置付け、離散家族の再会問題を、「北の体制を揺さぶる」手段の1つとしてアプローチしてきたのだ。

 40年ぶりの再会にもかかわらず、冒頭のようなシーンが繰り広げられた背景には、こうした政治的対決があったのだ。それでなくても南で肩身のせまい思いをしている失郷民は、必要以上に北の体制を非難せざるを得なかった。

信念を曲げぬ長期囚

 6月27日から金剛山で行われていた赤十字会談で双方は、(1)8.15に際して離ればなれになった家族・親戚訪問団を交換し (2)帰郷を希望する非転向長期囚を9月初めに送還し (3)離散家族再会のための面会所設置で合意した。

 今回の合意は、共同宣言が、実践段階へと突入したことを意味する。とくに会談当初、非転向長期囚の早期送還(8月上旬)を求めていた北側が大きく譲歩して、離散家族の再会を先に実現させるという南側の提案を受け入れたという事実は、共同宣言に対する北側の並々ならぬ意志を確認する結果となった。

 非転向長期囚の境遇もまた千差万別である。朝鮮戦争のときにそのまま南でパルチザン活動をして捕らえられた人、元々南朝鮮出身で、義勇軍に合流した人、戦後の混乱期に南の親戚に会いに行ったところを逮捕された人などなど。現在、南朝鮮には102人の非転向長期囚がおり、そのうち60人以上が北へ帰ることを希望しているが、共通しているのは、独裁政権の数十年間にもわたる執ような転向強要、拷問にもかかわらず自らの信念を曲げなかったことだ。

 南朝鮮のある政治犯は、非転向長期囚が、金日成主席の誕生日である4月15日と朝鮮労働党創建日である10月10日の年2回、刑務所の中で必ず祝賀会を行っていたと伝えている。

 元人民軍従軍記者の李仁模氏もそうだが、北にとって非転向長期囚は、戦士、英雄であり、南に「逃亡した」離散家族とは当然、処遇が違うのだが、今回の赤十字会談で、あえてそれに執着しなかったところ 
に、共同宣言履行の並々ならぬ決意が読みとれるのだ。

漂流する反共団体

 赤十字会談に際して、南朝鮮のごく一部、保守・反北勢力は「国軍捕虜」と非転向長期囚とを交換すべきだと主張した。「国軍捕虜」とは、朝鮮戦争後も北に残留した捕虜を指す。

 しかし、これについて有力な反北団体として名を馳せている「大韓反共青年団」の安ジョンイル総務局長(70)が明快な答えを出している。「もし北が(李承晩大統領が反共を表明した捕虜だからといって釈放した)人民軍捕虜を送り返せと言ってきたらどうするのか、彼ら(国軍捕虜)も形式的には南へ行くか北に残るかについて答え、残留を決定したはずだ」と言うわけだ。

 南側でも人道という「仮面」を被せた対北転覆工作を、もう止めようといっているのだ。ちなみに「大韓反共青年団」は、南北共同宣言の発表を受けて50年間持続してきた団体の名称、 反共、滅共 などを提示している定款を時代に合わせて変更することを検討中だ。

 「これまでは国家が反共決起大会などに失郷民を利用してきたから失郷民と言えば 反共 というイメージが先にくるが、反共・反北理念は、もはや時代にそぐわなくなった」(以北五道会平安北道道民会総務部長)のだ。 (元英哲記者)

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