1世の鼓動−統一への想い (1)
南北に家族・親類/福岡の周時在・全香連夫婦(上)
帰国のため博多港に集まった同胞たち
(1945年10月、「米軍が写した終戦直後の福岡県」より)
船の出港停止、遭難・・・解放直後、断念した帰国 故郷を離れて57年、族譜にない息子、孫の名前 全国から博多に 周時在さん(73)、全香連さん(70)夫婦が住む福岡市は解放直後、「博多に行けば何とか故郷に帰れるだろう」と、全国各地から同胞が押しかけてきた所である。周さんも解放後、帰国のため広島から、全さんは長崎から博多港にやってきた。 しかし、同年9月4日から釜山港に向け数隻の帰国船が出港したものの、日本政府は在日同胞に対する帰還事業を責任を持って果たさなかった。そのうえ断水による出港停止や、遭難などによって船の出港は減り、多くの同胞が帰国の断念に追い込まれた。 帰国したものの、着の身着のまま何の財産もない彼らが暮らしていくには環境は厳しく、恨みのつまった玄海灘を再び渡り、博多に戻ってくる同胞もいた。 その結果、港に滞留する同胞は日増しに増え、11月には1万5000人、12月には2万5000人にも膨れ上がったという。 周さん、全さんらも他の同胞同様、帰国を断念せざるを得なかった。そして2人はこの地で出会い、49年に結婚。以来、福岡に生活の基盤を築いた。 周さんは、「国を奪われていなければ日本に来る必要もなかったし、青春時代を重労働に奪われることもなかった。それに、『マンセー(万歳)』を叫び解放を喜ぶことなく他界したアボジなど、侵略戦争の犠牲者も出なかった」と、1世の思いを代弁する。 環境が整えば 「統一が実現し、民族が1つになることが重要なのと同時に、一族の繁栄も大切だ。そのためには一族の系譜を示す族譜を確保しなければならない。族譜を作る目的は、一族の団結を強化するところにある。だが、息子や孫らの名を記さなければ、私の代は途絶えてしまう…」(周さん) 族譜に子孫の名を記すには、一族であることを証明する一族の審議・審査がある。故郷の親族とつながりがあれば日本にいても可能性はあるが、つながりがなければ不可能に近い。周さんは親族とのつながりがない。 それに周さんは、「先祖の墓がある場所は日本では自分しか知らない」とも言う。 「幼い時の記憶だが、墓地に行けば、何とか先祖の墓を探すことはできる。息子たちと一緒に墓地を訪ねなくても、私がその位置さえ確認すれば、子供たちは後日、墓参りをすればよい。だが、それすらできなければ、子孫たちは先祖が誰かも知らないまま、一族の証、民族の誇りをはたしてどう培っていくのだろうか」と、周さんは頭を抱える。 ここ福岡からソウルへは飛行機で約1時間半、釜山までは高速船で約3時間もあれば行ける。それでも周さんら1世は今日まで、生まれ育ち、先祖の墓がある故郷の地に足を踏み入れることができなかった。 「金大中大統領の平壌訪問に続いて、金正日総書記がソウルを訪問する予定だという。総聯を『反国家団体』と規定した『国家保安法』が撤廃され、統一に向けた環境が整えられれば、私たちも故郷を訪れ、親族との交流を深められると確信している。日本で生まれ育った2世、3世が、いくら一族の繁栄を願っても、彼らの力だけでは限界がある。故郷にいる親族と在日2世らがきずなを深める役割は1世にしかできない。祖国の統一を実現し、民族の自主性を取り戻さなければならないと、総聯結成2年後の57年からこれまで、専従、非専従として働いてきたことがむくわれる日が1日も早く来ることを願っている」 (羅基哲記者)
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