虚構の「朝鮮系日本人」

朝鮮大学校教員のレポートから


 21世紀、在日朝鮮人の国籍と民族があらゆる角度から語られている。一方では、国籍と民族を守り抜こうとする流れがあり、もう一方では「朝鮮系日本人」として生きる道を求める主張がある。

  こうした多様化する価値観のなかで、固有の歴史的経緯を持つ在日同胞はなぜ、民族と国籍を守るのかについて朝鮮大学校の任京河、金哲秀教員は「21世紀―在日同胞にとっての民族と国籍」(人権と生活十号)で、一つの検証を試みている。その内容を紹介する。

国籍へのこだわり

 任、金教員は在日同胞が民族と国籍を1つのものととらえ生活してきたことについて、@朝鮮を植民地支配した日本への抵抗概念A解放後も日本政府が在日朝鮮人に対して一貫して同化・差別政策を取り続けてきたB日本の植民地支配時からこんにちにいたるまで、在日同胞が抱き続けてきた民族の解放と祖国の独立・統一に対する念願と、その実現まで民族の誇りと尊厳を保持しつつ、祖国に寄与したいという切なる思い――を挙げる。

 しかし、価値観の多様化、また日本への定住思考が定着するなかで、民族と国籍は別な概念だと指摘されるようになってきた。

 祖国を離れ、外国で居住するいわゆる「離散民」が、その国の国籍を取得して生きることは現在、一般的と考えられている。中国やロシア、米国をはじめ世界に散在する在外朝鮮同胞のほとんどが、その居住国の国籍を取得しつつも、なお朝鮮民族として存在していることなどを念頭においているからだ。だが、そこへ至るまでにはそれぞれの固有な歴史がある。

 在日同胞は、在外の朝鮮同胞の中で唯一と言っていいほど本国国籍にこだわってきた。それは、任、金両氏が論文で触れているように、日本の植民地支配によって存在する在日同胞固有の歴史的経緯があるからにほかならない。

日本の2大抑圧政策

 朝鮮民族の一員として生きること、朝鮮の国籍にこだわる生き方について、最近、在日同胞の若い人たちを中心にこれを分けて考える向きが出ている。この考え方は、いわゆる在日朝鮮人は日本に「帰化」し、「朝鮮系日本人」として生きるべきだと主張する「坂中論文」と合致する部分がある。

 法務省行政官の立場にあった坂中英徳氏は22年前、在日朝鮮人は「日本に同化する運命にある」との論文を発表し、98年の「これまで在日はどう生きてきたのか―坂中論文から20年」という「新坂中論文」でも改めて、在日朝鮮人の生き方と方向性は「帰化」=「朝鮮系日本人」に向かうと分析している。

 21世紀における在日朝鮮人の未来は、日本人との婚姻増加と世代交替による同化の深まりによって、「日本国民となり朝鮮系日本人の道を選択する人が飛躍的に増え」る一方、「韓国籍・朝鮮籍のまま特別永住者として生きる人は減少の一途をたどる」ということを、その根拠に挙げている。

 そして、世代交替を経てもなお本国国籍のまま生きようとする在日同胞に対しては、「外国人の地位にあることに伴う権利の制約を受けることを覚悟のうえ、日本国民と同等の権利を求めるようなことはしない決意で生きていかなければなりません」と、指摘する。

 つまり、日本社会(政府)は「朝鮮系日本人」としての道を選ぶか、あるいは外国人として制度的差別に甘んじるのかの二者択一を迫り、同時に同化と差別の2大抑圧政策に、今後とも転換はないことを明言したのである。

整わぬ社会的環境

 任、金両氏は坂中氏の主張を明確に否定した。

 日本国籍を取得して、なお朝鮮人として民族名を名乗り、自己の出自を隠さず生きている人がいることは確かだが、それらの人々は今のところ例外的でしかなく、民族名を名乗ったところで、民族教育の権利が否定され、「君が代・日の丸」斉唱と掲揚が義務付けられた日本学校で学ぶことを余儀なくされるなかで、民族的アイデンティティを尊重することは不可能に近いというわけだ。

 また、日本社会は徹底した単一民族の国民国家原理に立脚しており、そこにおける国籍観は民族と一致しており、「朝鮮系日本人」が存立する余地はいまだない、と両氏は指摘する。

 今後も、国籍と民族に関する論議は活発になると思われるが、在日同胞が日本の植民地支配の結果、日本に住むようになったという歴史的経緯を無視して、問題の解決は望めないのではないだろうか。(整理、金美嶺記者)

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