1世の鼓動−統一への想い (6)
済州島4・3事件でアボジが虐殺された
東京・荒川の尹泰※(※=王偏に進)さん(下)
貫き通した自分の信条 労苦洗い流す共同宣言 南北共同宣言が発表された後、故郷への郷愁は募るばかりだ。 「生きている内に供養に行きたい」。尹さん(72)は何度も口にした。 「プモニム(両親)が眠る済州道の丘にのぼり、墓のまわりの草を綺麗に刈り取り、半世紀にわたる親不孝を詫びたい。それは、家族に何もできなかった長男が最低限果たさなければならない義務だと思います」 尹さんは、渡日後、朝鮮民主主義人民共和国を支持し、総聯に身をおいてきた。半世紀以上の間、祖国統一のため、同胞の生活を守るため、一筋に奔走してきた。 今まで南の親兄弟、親戚から、故郷に来ないか、という誘いは何度もあった。しかし、思いとどまってきたのは、「自分の信条、生き方を変えてまで行きたくなかった」からだ。何より、分断された祖国には足を踏み入れたくなかった。 すべてのエネルギーを統一運動に注ぎ、統一された祖国に帰ることを夢見てきた。 南にいる弟と妹は、尹さんが総聯に属しているということから、「パルゲンイ(赤)」と後ろ指をさされてきたという。自分たちが迷惑を被ると、罵声を放つ親戚もいた。南北が政治的に対峙してきたが故に、双方が煩わしい思いをした。 同郷の友人の中では南にいく同胞もいた。しかし籍を 変え、生き方を変える姿は尹さんとは相入れなかった。 なぜ自分の持っているものを否定してまで行かねばならないのか。納得が行かなかった。 ◇ ◇ 尹さんは7月のはじめ、五十数年振りに初めて祖国の地を踏んだ。故郷の南ではなく、北の地である。南北共同宣言に接し、心の中で「南と北が1つになった」からだった。 板門店に行った時のことだ。数十センチの幅で南北の兵士が対峙する。その向こうに立つ米兵…。五十数年前に故郷の済州島でおもしろ半分にキジを撃ち殺す米兵の姿と重なった。外国の軍隊が自主的に生きる民族の道を塞いでいる状況を、目の当たりにした思いだった。 平壌に向かうバスの車窓。あいにくの旱ばつで育ちの悪い稲が目立ったが、「この地の人民は今日まで、外勢からこの土地を守ってきた」と思うと、自分の歩んできた人生と重なった。 「朝鮮の人民は誰にも譲れないものを命を張って守ってきた」。その姿は誇らしかった。 8月15日から、離散家族の対面が平壌とソウルで行われる。在日同胞の大多数は離散家族。南の故郷にも生きている内に必ず行くことができるだろう。 「もう考え方、生き方を変えなくても故郷に行ける、そういう時代になった。南北共同宣言が実行される過程で、わが民族の労苦が少しずつ洗い流されていくものと信じている」 (張慧純記者) |