1世の鼓動−統一への想い (8)
済州島に眠る夫を29年間想い続ける
神奈川・川崎市の申貞玉(シン・ジョンオク)さん
総聯川崎支部結成当時(前列右端が夫の姜奎元さん。
その斜め後ろ、チョゴリ姿で手を組んでいるのが申さん)
故郷訪問団提案に感涙 「やっといける」 待ち望んだ墓参り 川崎高麗長寿会の役員を努める申貞玉さん(73)。 月1回行われる役員会には欠かさず顔を出し、いつも積極的に発言する。その熱意にあふれた姿は、総聯の活動を始めた頃から変わることがない。 申さんの夫、姜奎元さんは済州道の墓に眠っている。日本で亡くなった姜さんの遺骨が南に渡ってから29年間、申さんは1度も夫の墓参りをしたことがない。 先日ソウルで行われた第1回南北閣僚級会談では、在日同胞の希望も受け入れ、近いうちに故郷を訪問できるようにとの協議もなされ 「やっと会いに行けると思うと、うれしくて一日中涙が止まらなかった」 ◇ ◇ 申さんの故郷は、慶尚南道釜山。日本の植民地時代、徴用で大阪に連行されたアボジを頼って1929年、オモニとともに渡日。申さんが2歳の時だった。 17歳で結婚し、翌年長女が誕生。その後も子宝に恵まれ、7人の娘を持つ大家族となった。 49年に川崎市に越してからは、夫とともに総聯の活動に励むかたわら、パチンコの景品交換業や焼酎の販売などをして生計を支えた。 長女が神奈川朝高1年生だった61年、専従活動家の夫が急死した。目の前が真っ暗になった。しかし悲しみに暮れている暇はない。残された娘たちを食べさせ、生きていかなければならない。申さんは死にもの狂いで働いた。 71年の春、舅が故郷に帰った。先祖の墓を整理するためだった。その直後から何度も申さんに便りが届いた。一族の墓を建てるので、一家の長男である申さんの夫の遺骨を故郷に送ってほしい、と。祖国が統一したら故郷に骨を持ち帰り、供養をするつもりだった夫の遺骨は川崎の寺に安置されていた。度重なる舅からの頼みを断りきれず申さんは、骨壷に遺骨を納め、南に送った。 「数年後には統一すると思っていた。分断がこんなに長く続くと知っていたら絶対に夫の遺骨を手放さなかった」 それから29年間、申さんは片時も夫のことを忘れたことがない。日本でもチェサはずっと続けてきた。 南の親戚からは何度も「こっちへ来ないか」との誘いがあった。動揺しなかったと言ったらうそになる。そのたびに揺れる心を踏みとどまらせたのは娘たちの存在であった。7人の娘は、総聯活動のために昼夜を分かたず働いてきた自分の背中を見て育った。「統一するまでは…」との信念を曲げた姿を見たら、娘たちはどう思うだろうか。その気持ちが申さんの29年間を支えた。 南北首脳会談後、夢がにわかに現実味を帯びてきた。夫の霊前に好きだった酒を供えてあげたい。それが申さんのささやかで、切実な願いだ。 「遅くなってごめんなさい。やっとあなたの元に来れました」 (李明花記者、おわり) |