在日の歴史、なんでもQ&A
なぜ日本に留まったのか?
GHQ、日本政府
輸送計画放棄/南の政情も不安定
米の配給もとだえる
博多で故郷行きの乗船を待つ同胞ら
(1945年10月「米軍が写した福岡県」より)
Q 解放直後、帰国希望者はどのくらいいたのですか?
A 解放直後百数十万人の同胞が自発的に帰国するなか、1946年に入るとGHQと日本政府による計画集団輸送が行われます。46年2月17日、GHQは日本政府に対しすべての朝鮮人を登録させ、同時に帰還希望の有無も登録させるように命じます。3月18日現在、64万余人のうち8割にあたる51万余人が祖国への帰国希望者登録に登録しました。 日本政府は市町村別輸送計画を立てて4月25日から朝鮮人の計画送還を始めますが、希望者に比べた実際の帰国者は11万余人に過ぎませんでした。 Q 帰国を希望しながら、なぜ日本に留まったのですか? A その原因は、祖国の状況とGHQ、日本政府の朝鮮人帰還政策にありました。 当時、祖国の政情や生活状況はとても不安定でした。そのため帰国者が日本に再入国するという事態もおきていました。事実、アメリカ軍政下の南朝鮮では政情が不安定であったばかりか、インフレの昂進や米の配給がとだえるなど経済的にも苦しい状況にありました。 祖国の深刻な状況、洪水やコレラの流行、鉄道労働者のストなどの噂もありました。 一方、GHQと日本政府は帰国者に対し、持ち帰り財産について、通貨は1000円、動産は1人当250ポンド(約113キロ)までと制限しました。このような処置も故郷に生活基盤のない同胞たちにとって、帰国をちゅうちょさせる要因になりました。情勢の変化を期待し帰国の時期を伺っていた同胞が多数いたにもかかわらず、GHQと日本政府は46年12月末をもって計画集団輸送を一方的に終了してしまいました。 その後も個別的な帰国は続き、1万6000余人の同胞が帰国しますが、50年の朝鮮戦争勃発でますます帰国の道は途絶えてしまいます。(金大遠、研究家) ※次号からは一時休載し、9月から「解放後編」として再開します。 |