ハルモニたちの涙は・・・

歴史の歯車を回す自負心

広島・尾道分会を訪ねて


 7月下旬の、とある昼下がり。瀬戸内海に面する風光明媚な街、広島県尾道市の尾道分会を訪れた。折しも盛夏のカッと燃え上がった熱射を浴びて、平均年齢80歳ほどのハルモニたち10人が待つ分会の扉を開けた。(朴日粉記者)

父母との離別の涙
夫を見送った涙
引き裂かれたものが一つになる涙

 尾道分会は6月4日、尾道支部と福山支部が統合して、新たに東部支部尾道分会として発足したばかり。この日は「1世オモニの会」のメンバーが集う日。91年1月22日に結成されて以来、毎月の22日に、1度も欠かすことなく開かれてきた。集まりでは互いに元気でいるかを確認して、おしゃべりしたり、おいしいものを食べたり、時には旅行に出かけたりもする。老いてますますパワフルな女性たちだ。

 訪れた日は李京順女性同盟県委員長が携えてきた先月の南北首脳会談のビデオ上映会が開かれていた。画面に金正日総書記と金大中大統領がガッチリ握手するシーンが映るたびにハルモニたちは熱い拍手を送り、涙をポロポロ流す。日本列島の同胞が住むすべての地域で繰り返されたこの光景。何度みても胸を詰まらせるものがある。

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 背がスラリと高い韓今菜さん(73)は、全羅南道自隠出身。8歳で日本に来て、滞日65年になる。18歳で結婚して、子供を3人もうけ、そのうち1人は共和国に暮らす。孫は8人、ひ孫は2人になる。

 「まさか、こんな日が来るなんて」。様々な思いが胸に去来し、また目頭が熱くなる。首脳会談の開かれた3日間、テレビの前を離れたのは「ご飯とトイレだけ」。このニュースは随分前から流されていたのでもちろん知っていた。

  しかし、いざ、実現するとそれが夢かうつつか分からぬ心地になったと言う。「日本の植民地になって36年、祖国が分断されて55年、朝鮮戦争から50年。わが民族の苦難史は語り尽くせない。それを乗り越えて実現した首脳の出会いに感激して涙。この日を1日千秋の思いで待ち、逝った人たちのことを思って、また涙。もう一生分の涙を流しました」と韓さんは晴れやかな表情で語った。

 崔仁洙さん(78)は長く分会長を務めた人。慶尚南道密陽出身である。言葉に張りがあり、見るからに元気一杯。「金正日将軍の威風堂々とした姿は主席そっくり。6年前、南北首脳会談直前に亡くなった主席が懐かしく涙が止まりませんでした。私たちの世代は、渡日して苦労したが、『統一の広場に主席を戴こう』を合言葉に頑張ってきた。その思いを将軍が受け継ぎ、奮闘されている姿に、魂を揺さぶられました」と声を詰まらせた。

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 金順伊さん(77)。柔和な笑顔がとても素敵なハルモニだ。故郷は慶尚北道大邱。18歳で結婚。日本に来てからも苦労の連続だった。苦楽を分かち合った夫も六年前に他界し、今は1人暮らし。

  「子育て真っ盛りの頃は忙しかったけど、何にも代え難い充足感があった。『模範分会』の旗を獲得するために愛国事業に燃えていた。夫は官憲の弾圧から学校や組織を守るため朝の3時、4時に起きて、ビラ貼りに出かけたこともあった。今の若い人にはあの頑張りは理解できないことかも」

  だからこそ、南北首脳の握手と抱擁という歴史的な瞬間を目撃した感動が大きいのだ。言ってみれば、歴史の歯車を回すために力を尽くした同胞としての自負心なのであろう。

  「この半世紀、様々な涙を体験した。故郷から旅立つ時の父母との別離の涙。子を生み、育て、わが子の結婚を見届けた時の喜びの涙。夫を見送った時のどうこく…。でも、今回ほど、自分自身にとって幸せの涙を流したことはなかった。それは子孫の幸せ、民族の未来の幸せを約束する希望の涙なのです」

 ハルモニたちの率直な話を聞いていて、何度も目頭が熱くなってきた。ハルモニたちの心は、なぜこんなにまで熱く、純粋なのか。それは20世紀の朝鮮の歴史がそうさせたのだ。

  日本によって武力で国を奪われ、流浪の民として生きねばならなかったこの100年。全民族の情念、怒り、悲しみ、血の記憶とそこに注がれた大量の涙と犠牲はどれほどだろうか。だからこそ、引き裂かれた者が1つになって幸せに生きたいと、渇望し続けてきた。それが、ハルモニたちの流す涙の中に凝縮されていた。

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