祖国解放55周年を迎えて

平和を思う気持ち育てたい

洪順子


「英雄」になった朝鮮人兵士にみる戦争の非条理

 暑さを逃れるため入った図書館で、私は1冊の本を手に取った。「赤道下の朝鮮人叛乱」(内海愛子、村井吉敬共著/勁草書房)。
 本の巻末を開いてみると、1980年第1版発行とある。ちょうど20年前に出版された本であった。

1冊の本から祖先の屈辱を知る

 第2次世界大戦中、日本兵としてインドネシアに徴兵された朝鮮人兵士たちがいる。その中の1人、梁七星元兵士は日本の敗戦後も現地に残り、インドネシアの独立のためにオランダとのゲリラ闘争に参加して犠牲になった。インドネシア政府はゲリラ戦で死した彼を「英雄」として称えたのだが、彼が朝鮮人であることを知らなかったという。

 日本政府が伝えていなかったためで、そればかりか南に住む遺族にも知らせていなかったのだ。梁の「同志」であった元日本兵たちの遺族には、日本政府から連絡が届いたにもかかわらず、である。結局、梁元兵士の遺骨は引き取り手のないまま、インドネシアの地に埋葬されていたのであった…。

 本を読むにつれ、植民地支配下に置かれた祖先たちの屈辱がこみ上げてくる。

 それと同時に、戦争がいかに人々の人生を狂わせるかということも、今さらのように痛感させられるのであった。

 朝鮮半島で生まれ育った1人の人間が、人を殺すためはるばる赤道下の国に駆り出されるだけでも数奇であるのに、かの地で英雄として犠牲になるという事実の前に、いかなる正論も意味を持たないようでならない。あるのは人々に多大な苦痛以外の何も与えない、それが戦争ということだけだ。

 仮に戦時中と同じ体験を、いまの自分に強要させられたらどうなるだろう? 遠方へ徴兵されないまでも、現在住む東京が戦地と化し、空爆や銃撃戦におびえながら生活することになってしまったら…? きっと日々恐怖にさいなまされ気が変になってしまうだろう。これらが多くの在日1世たちにとっては、現実に起こったことなのだ。

 どれほどの恐怖に堪え生きてきたかを、戦争を体験したことのない私には、わかりようがないかも知れない。わかりようはないけれど、自分たちの時代、そして次の時代にも、決して起きてほしくないし、2度とあってはならないということだけは、確信することができる。

統一は犠牲者の魂を救う

 今年も8月15日が来た。この暑い夏の日、とくに戦争と平和について考えさせられる。人の知恵が発達すれば平和が訪れるとは限らない。科学技術が進歩する一方で、戦争がくり返されてきた今世紀の歴史、いまなお続く戦争犯罪やトラブルがそれを如実に示している。

 暗い世相にありながらもしかし、わが民族は先の南北首脳会談で、平和の喜びをかみしめたばかりである。統一が目前に迫っているかのような無上の喜び、希望を私たちに与えてくれた6月の3日間を、私たちは決して忘れないだろう。

 冷戦により引き裂かれ20世紀の悲劇を強いられてきたわれわれの、統一を思う気持ちは切実であり、平和を願う心は強い。朝鮮半島の統一が成し遂げられた日、インドネシアの「英雄」に祭られた梁七星元兵士をはじめ、日本のアジア・太平洋戦争で犠牲になったすべての朝鮮人の魂は、本当の意味で救われるはずだ。

 あと半年を待たずに21世紀がやってくる。争いが少しでも減ってくれるであろうことを、次の世代に期待するのは無責任というものだ。いま、私たち自身がどういう世界観や人生観で日々を暮らしていくかが、争いのない社会を築くレールになると思う。祈るだけでは平和な社会は築かれない。ありきたりの言葉ではあるが、平和を大切に思う気持ちを育てていくこと、戦争の悲惨さを語り継いでいくことが、これからも大切なことなのだと思う。無力な自分に出来ることはそれぐらいしかないという、自戒の意味も込めて…(東京都葛飾区在住)

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