私の会った人

住井すゑさん


 3年前、茨城県牛久市の牛久沼で95歳の生涯を終えた。ここで部落差別をテーマにした大河小説「橋のない川」を書き続けた。

 「人間はみな平等です。命に高い、低いはない。男であれ、女であれ等価値である。こんな自明なことが、まだまだ実現されていない。だから闘うしかないですよ。中途ではやめられない、死んでも死にきれん、これが生きがいでといえばいえるでしょうね」

 「橋のない川」は、1959年に第1部が雑誌「部落」に連載されスタートした。7部の完成までに33年かかった。

 「また書こうと思ったきっかけは、昭和天皇の死でした。代替わりのセレモニーが華やかに行われたが、天皇という人間以上の存在を作るということは、人間以下の存在を作ることにつながります。これが社会に残るあらゆる差別の根源だということを書き続けねば」

 子供の頃から差別に敏感だった。1909年、朝鮮侵略の首謀者の1人、伊藤博文がハルビン駅頭で安重根に射殺された。「この時、小学2年生でした。国葬があって校長が、安重根を口を極めてののしった。ピーンとおかしさに気づきましたよ。校長はうそつきだと。祖国を奪う者に対して、怒り心頭に発してのその行為は、朝鮮人として当然ではないかと。英雄だと思いました」

 話しぶりは、明快で力強かった。「私にとって『橋のない川』はかたき討ちだから、命がけなんですよ」と言った言葉が忘れられない。 (粉)

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