南北離散家族交換訪問

平壌


「京義線で再び故郷へ」
ハンさん一家が固い約束

 南側の離ればなれになった家族・親戚訪問団は平壌着3日目の17日も、高麗ホテルで肉親と家族単位の再会を果たした。

 ソウルから来たハン・ジェイル氏(77)は、「初日は涙が出るばかりで、何がなんだか分からなかった。2日目になってやっと落ち着いてきた」と言いながら、妻と息子、娘、弟に南側へ行った自分の人生を語った。

 ハン氏は、戦争が始まる前の年に、朝鮮人民軍に入隊した。そしてその日、妻と息子がハンさんの職場を訪ねた。入隊した労働者を乗せたトラックが出発するときだった。しかし、人混みの中で、ハンさんとはついに会えずじまいだった。それ以来、家族は生き別れになった。冷たい雨が降りしきる日だった。

 「結局、オモニはアボジと1年少々しか一緒に暮らせなかった」
 息子のハン・ヨンソン氏(53)は、アボジのことをまったく覚えていない。

 「京義線沿線にあるわが家は、戦争中、鉄道を破壊する爆撃のために傾いてしまった。でも、オモニは故郷を離れてはいけない、戦場から帰ってくるアボジをわが家で迎えなければいけないと私をなだめました」

 ハン・ジェイル氏は、43年にキム・スンシルさんと結婚。その直後、慶尚南道鎮海にある日本帝国主義の海軍部隊に徴兵された。解放後、彼は京義線に乗って平安南道平原の故郷に戻ってきた。貯めたお金で木材を買い、自分で家を建てた。その後、鉄工所職場がある順安郡に単身赴任し、そこで人民軍に入隊した。

 ハンさん家族は、金正日総書記と金大中大統領の歴史的対面を見守った。そして8月にはアボジが平壌に来るということを知って、この日の再会となった。

 「3日目になると、今度はいつ会えるかという気持ちでやるせなくなる」と、父のジェイル氏。

 「アボジ、だから早く統一しなければ」と、ヨンソン氏がなだめる。そして家族は約束した。3年後、ジェイル氏の80歳のお祝いを、長男(ヨンソン氏)が住んでいる家、ジェイル氏が建てて、北側の家族が立て直したその家でやろうと。

 「そのときは、また京義線に乗って、わが家へ行けるんだ」
 「そうだよアボジ」

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