限りなく希望に満ちた一歩

南北離散家族の再会に思う

詩人  石川逸子


「いつまでも長生きして下さい」北の沙里院舞台芸術大学部長
ソ・ギソ
さんが母、金グエさんに語りかけた(8月17日、ソウル)


凍りついた川が溶けてゆく

 凍りついた川が溶けてゆく、ゆるゆると確実に溶けていって川波の音までがもう聞こえてくるよう。

 奇跡のように電撃的になしとげられたあの6月の首脳会談、そこで結ばれた南北共同宣言からまだたった2ヵ月しか経っていないのに、すでにさまざまな交流がはじまり、この8月15日、南北離散家族の対面が15年ぶりに実現した。

 1000万人いるといわれる離散家族、そのなかのたった200組とはいえ、今回は、かぎりなく希望に満ちた小さな一歩に思える。

 再び民族相食む戦争はなにがなんでも避けねばならないという強い民族の意思と両首脳の大胆な勇気があまたの困難を乗り越え、このような一歩を可能にしたのである。

 「ルーツは同じ」抱き合いつつ、北の兄は南の弟に語り、「そう、イデオロギーは違っても」弟は思ったという。兄弟の思いはそのまま、分断に苦しんできた朝鮮半島すべての方々の思いであり、手足はねて踊り出したい思い胸こみあげる思いは、とりわけ分断に翻弄されてきた在日の方たちにこそ強いにちがいな 
い。

アメリカだけに顔を向ける日本

 そんな8月15日、この日本はといえば、「天皇中心の神の国」のとんでもない妄言をした人物が変わらず首相であり、十閣僚がヤスクニ参拝し、この4月、自衛隊に向かって「第3国人」ほかの妄言をした石原都知事もヤスクニ参拝を平然とおこなった。私は平和遺族会が主催する靖国神社周辺へのデモに参加したが、「日本の悪口をいう日本人は朝鮮に行ってしまえ」と激しくがなりたてる右翼の街宣車に取り巻かれ、騒然となった。

 憎悪ではなく対話によってねばり強くさまざまな相違を乗り越えようとするアジアの新しい動きのなかで、日本だけがかたくなに顔をそむけて、同じアジア人であることを忘れたようにアメリカのほうだけ向いている。

 日本政府のみならずマスコミの論調をみていると、隣国を36年間植民地支配したのは、まるで日本とは関係ない別の国のよう。「隣人として祝福をおくるとともに、家族を拉致された日本人にも、再会の日が訪れることを願わずにはいられない」と朝日新聞の社説(8月15日付)の中にあるが、植民地支配時代、日本列島に南の島々に強制連行し、亡くなられてしまったおびただしい方々、その遺族の思いについてどうして言及しないのか。

改めて日本の罪の深さを思う

 この3月、下町大空襲のちょうどその夜にソウルから7、800名の若者が連行され、石川島造船の州崎寮、豊州寮に着いてまもなく大空襲、その方たちの行方はそのまま分からない、との証言を聞いた。これまで噂でしかなかったことだという。

 「従軍慰安婦」はじめどこでどれだけの方々が亡くなられたのか、その調査いっさいを怠ってきた日本。その謝罪と補償もいまだに行っていないことには一切口を閉じ、さらにそもそも日本の植民地支配がなければ隣国の半世紀にもおよぶ南北分断はあり得なかったことを肝に命じるべきなのに、なんだか偉そうに技術援助をいうのだから驚く。

 かつて詩人、沈薫は日本からの独立を夢見て、「その日が来たら」という詩を詠んだ。
「その日が来たら その日が来たらば/三角山が起き上がり浮かれ舞い/漢江の流れが逆巻き沸き立つその日が/この命途絶えるまえに来てくれさえすれば/私は夜空を飛ぶカラスのように/鐘路の鐘を頭突きで鳴り響かせましょう」(部分)

 しかし、その日が来たとき、それは即分断の日となってしまった。朝鮮を植民地支配していなければ分断されたのは間違いなく日本であったはず。また、もし、日本がポツダム宣言を「国体護持」にとらわれずいち早く受諾していてさえいれば、現在の分断はなかった。

 涙溢れて抱き合う離散家族の映像を見ながら、改めて日本の罪の深さを思う。

「再婚した夫、操を立てた妻」(ハンギョレ新聞社説)

 ソウルと平壌の家族再会のかげでわが民族の現代女性史の一断面を見る。戦争と分断の悲劇の中で、主体的に自らの人生を選択できず、他意によって2重の犠牲を払ったのが女性たちだという事実が確認されたからだ。信念あるいは生きるために越南や越北を選択したのは、ほとんどが父であり夫であり息子たち、この地の男たちだった。

 難しい後始末をしたり、大変な苦痛の中で子供を育て、生涯、待ちわびながらの歳月を送ったのは、南側や北側の母と妻たちであった。時代や呪縛の歴史のせいではあるものの、ある意味では打ち捨てられた人生を生きてきたとも言えようが、ひたむきに生きて再会した喜びの陰で、長い恨みの歳月を隠し、涙を流す姿はわが女性史のある断面を見るかのようで胸が張り裂けんばかりだ。

 その中でも特に胸が痛いのは、50年ぶりの再会でせきを切ったように流れ出る涙の中にいるべきなのに、いることも叶わぬ再婚した妻たちの事情である。それは家父長制のもう1つの犠牲物である。50年の長い歳月、幼い子供たちを育てながら操を命のように守り抜き、1人で生きた妻たちは多い。反対に、置いてきた妻を慕い、一生独身を貫いた夫はほとんどいない。しかし、新しい家庭を築いた夫の人生が自然なものであるように再婚した妻の人生もまた、自然なものでなければならない。夫が独身を通さなかったといって非難することはできないように、再婚した妻の人生もまた、正しかったということを自らも、あるいは周囲も公認するようにすべきである。

 実際に再婚した妻の背中をたたき、「そうか、よくやった」と安堵させた夫もいたし、南側の妻から北側の妻へのプレゼントを夫が手渡したケースもあった。それぞれの家族を置いて越南した夫婦が揃って北側を訪ね、自分の家族にあった後、互いに家族を紹介しあい、新しい家族として認めあう美しい姿も見られた。

 しかし、再婚したことを罪に感じて、前夫の前にまだ出ることができない妻たちもまた少なくない。現在の家族に申し訳ないという気持ちから、南と北に夫がいるという事実を隠したまま息を潜めて生きてきた妻たちがいかに多いことだろうか。他の家族の再会の様子を見つめながら胸の奥底に複雑な事情を抱えたまま、1人涙をのみこむ妻たちがまたいかに多いことか。もしかすれば、前の家族と会うことが、現在の家族関係に亀裂を及ぼすかも知れない。しかし、女性の身で2重、3重の忍苦の歳月を耐え忍んだその妻たちをまず考えるべきである。

 50年前の戦争の傷を癒そうとする今、南北のすべての社会が深い理解と関心を寄せ、彼女たちの恨をとかすように努めるべきである。(8月17日付社説全文)

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