私の会った人

五木寛之さん


 つねに第一線に立ち膨大な量の小説やエッセーを書き続けてきた。作品の底流にはマージナルな感性が豊かに息づく。

 「人は誰でも無意識のうちに心に刻み込んだ記憶を持っています。私は生後3ヵ月で福岡県を離れ、植民地だった朝鮮に渡り、13歳まで過ごしました。ですから、ふっとした折りに朝鮮民謡の『アリラン』や、『トラジ』、童謡の『ケナリ』などの歌が、よみがえってきます。きっと肉体化された記憶なのでしょう」

 教師をしていた両親に連れられて光州、大田からずっと奥に入った村に住みついた。

  「遊ぶのも朝鮮の子供たちと一緒。郷に入れば、郷に従えで暮らした。小学校だけで五回も変わったが、違ったコミュニティーの中に子供がポツンと一人入っていくのは大変なこと。おのずから転校生の知恵といいますか、いつのまにかノマド(遊牧民)化してしまい、自分の一生に随分その影響があったと思う」

 「日本人はとかく、涙や、悲哀といった感情を軽蔑し、卑しむ傾向がある。金日成主席の死去に慟哭する平壌市民の姿を揶揄する識者らがいたが、私はあのシーンを見て、かえって自然だと思った。貴人が亡くなったとき民衆が慟哭するというのは、日本でも奈良時代までの正しい習俗だ。これは歴史的に雅な光景です。それを『野蛮だ』とか『原始的』だとしかとらえられないのは、自らの歴史を振り返ったことがない人たちです」。深い理解からつむがれた言葉が新鮮だった。(粉)

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