春・夏・秋・冬 |
ある年の大晦日のことだ。悪友と「初詣」に行く約束をした。もちろん目当てはお参りではなく、参道にずらりと並んだ露店だった。そこで、その軍資金を捻出しようと一計をめぐらした
▼××歌合戦を観て、除夜の鐘が鳴ると同時にアボジに新年のあいさつをし、手を差し出したのだ。が、「なにを寝ぼけたことを言っているのか」と、大目玉をくらってしまった。しょせん、小学生の浅知恵だった。セベトン(お年玉)は、祭祀の後、新年のあいさつを終えてからもらうものだと、オモニが半ば呆れ顔で悟してくれた ▼朝鮮で正月を祝うようになったのは、三国時代からという。高句麗では陰暦の1月1日になると、川辺に集まってつぶて投げなどをして遊んだ。新羅では651年に王が百官から新年のあいさつを受けた。百済でも261年から迎春の行事が行われたとの記録がある ▼セベトンの風習がいつから始まったのかは定かではないが、年始のあいさつに来る人へのもてなしとして、大人には簡単な食事を、子供にはお菓子か小銭を持たせたのが現在に至っているらしい ▼日本では目上の者に対するお歳暮のお返しや、年神からの賜物とする説がある。熊野灘の漁村では、子供に正月の役をさせるために小遣いをやる風習が古くからあったともいう。いずれにしても、朝鮮半島から伝わったのは間違いないだろう ▼さて、血は争えないもので、わが家の愚息どもは、1ヵ月前からお年玉の前借りを要求している。で、父親の方も「バカなことを言うんじゃない」と同じように一喝をくれた。(元) |