花あかり人

日常は生きる間のいのちの舞台

岡部伊都子

作家の落合恵子さんは岡部さんを「花明り」に例えて「私たちがその 花明りか らの明かりを受け取っている間も、蝋燭は自分自身の身を削って燃えている」 と書いている。67歳。

 「日常は、生きている間の、いのちの舞台」。病弱な小さな体からあふれでる平和への思い、ものへの慈しみ。生への感謝をやさしく綴る岡部さんの言葉――。人の心に響く作品はすでに110冊を超える。

●随筆集の中で、朝鮮についてよく触れておられます。

 日本は戦争責任をとらない国。自らの加害をすりかえて、他国民衆を苦しめた実情を直視しようとしないこの日本の軍国主義支配の実情を差別、加害体質をどうしようか。大日本帝国時代に受けた「天皇陛下は神」教育で、私はむごい朝鮮半島への侵略を教えられていない。何も知らされず、何も知らず、学ばないまま、在日朝鮮人に対する差別は、今もしたたかに続く。私はもう申し訳ない思いを抱き続けている。

 不審を抱くこと、真実を追究すること、納得のゆかない時は不服従であること、さらに怒るべきことには怒ること、異議を叫ばねばならぬことは異議を叫ぶこと、抵抗すべきことには抵抗すること、許してはならぬことは許さぬこと。そういう思考をする人間でありたい。

●昨年五月には光州事件20年で、犠牲者の追慕塔を訪ねられました。

 「大和はまほろば」と言うが、その大和、奈良盆地のように美しい風景に迎えられて…。朝鮮に渡るなんてとても無理だと思っていた。日本の文化、技術、学問、宗教を思えば、まさにその国、不思議な夢のまほろばを通っているような印象を覚えた。20年の昔、テレビで見た光州20万人以上の学生・市民が男も女も立ち上がって、「自主、民主、人権」を求めた集まりに、全斗煥保安司令官によって投入された戒厳軍。殺される様子、抵抗ぶりに私は襟を正したのだった。また、当時、不当に獄に閉じ込められていた徐勝、徐俊植兄弟の母、呉己順オモニが「統一こそ」と最後まで願って亡くなったのも5月20日。私は追慕塔を仰ぎながら思いを重ねた。

 それから、なんと約1ヵ月後、歴史的な南北首脳会談が実現し、朝鮮の統一への道が、まぶしい未来が、可能になったと思った。

●いよいよ新世紀。「日朝の未来の良き日を」と語る岡部さんの目に涙が宿る。

 明治以来どれだけ朝鮮にむごいことをしたか。武力で併合し、抵抗する人たちのおびただしい命を奪った。男性を強制労働に駆り出して、女性を連行して日本軍の性奴隷にさせ、どれだけ殺したか。命あって日本にたどりついた在日のみなさんにした無礼なしうちの数々…。食べるものもなく亡くなった人もたくさんいた。この歴史を繰り返してはいけない。過ちを正し、世界の良き未来を共に作っていかなければ。

●「女である」ご自身を厳しく見つめて来られました。

 女が自分を生かすことを、女らしくないとされた時代は長かった。人間としての自己を持ち、その自己の内なる良心に忠実たらんとする時は、往々にして、夫や家の在りようとぶつかった。批判し、拒否し、より成長する女、それは許されぬ悪女だった。戦後まで女は人間扱いされなかった。差別の体験者として弱さの実感がある。戦争は殺すことを尊ぶ。戦争はしないという願いを行動へ移さねば。

 国境や民族を超えて女性たちが共に行動することで、多くの共感が広がっていくと思う。(聞き手・朴日粉記者)

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