姫観音 伝承

祈り捧げた村人の思い


 深く青く澄んだ湖、田沢湖。あたりには静寂さが漂う。湖畔にたたずむとかつてこの地で絶え間ない過酷な労働と虐待によって命を落とした多数の朝鮮人労働者らがいたことを思わせるものは何もない。

 湖を見守るかのようにひっそりと立つ姫観音像。この像はつい近年まで、死滅した魚と古代からのこの地に伝承されてきた湖神・辰子姫の霊をなぐさめるために、建立されたものだと考えられてきた。

 しかし、この伝承の陰で村人らが姫観音に託した真実――それはこの像が犠牲になった朝鮮人労働者らの慰霊碑として建立された――というものであった。その史実を探り当てたのは、地元の田沢湖町・生保内中学校の田沢真教諭(現在・西明寺中学校に赴任)と生徒らだった。

 田沢教諭は5年前、生徒らに「発見、この町」のテーマのもと、夏休みの研究課題を示した。生徒らは姫観音にまつわる伝承を村の古老らから聞きながら、研究に取り組んでいった。

 すると1939年に建立された姫観音の背景が分かってきた。「日本は37年の日中戦争勃発で全面的な中国侵略を開始した。この戦争を遂行させるために、日本各地に発電所やダムを建設していった。その一環として着手されたのが田沢湖を利用した生保内発電所工事だったのだということに生徒らは気付いたのです」と田沢さん。

 この工事に駆り出された朝鮮人労働者らがいかに奴隷労働を強いられたかを生徒らは詳細に調べ上げ、レポートに書いている。

 「この大工事をわずか2年で仕上げたまさに超スピードの工事だった。厳しい監視のもとで、削岩機もなくひたすら手作業でトンネルを掘り続ける。1番危険なダイナマイトの装着も全部朝鮮人にさせた。1日12時間も働かせ、発破や落盤事故、冬場は飢えと寒さで亡くなる人も多かった」

 朝鮮人労働者の悲惨な姿を目撃した村人らは、工事の翌年、表向きには湖神の供養を理由にして姫観音を建立した。「ものいえぬ戦時体制のもとで、悲惨な目にあった朝鮮人犠牲者に同情することはタブーだった。しかし、村人らは心をかきむしられ、その慰霊碑を立て、そばを通るたびに黙とうし、祈りを捧げてきた」。

 生徒らは村の古老からこんな話を聞き出している。「朝鮮人の男性は目立って体ががっちりして、頭がよかった」と。暗黒の時代にあって素朴な村人が朝鮮人を人間的な思いでみつめていたことを知る貴重な話だ。新世紀。姫観音像が歴史の証言者になる日は遠くないだろう。(公)

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