新世紀 民族教育を歩く
奇跡のような現実
「4世」―21世紀を迎え、今やウリハッキョで学ぶ子供たちの主流はこうなった。四世ともなれば名実ともに「メイド・イン・ジャパン」のはずなのだが、しかしこの四世たちが、いわゆる「ネイティブ」のもとで育った2世の私よりも「朝鮮人らしい」ことに、しばしばショックを受けずにいられない。
民族的な歌や踊り、チャンゴの叩き方や自然なウリマルの話し方、季節ごとの伝統行事のすごし方、果てはキムチのおいしさに至るまで、子供たちは本当にたくさんの事を知っているのだ。それも頭だけではなく、全身(心)で。3歳からウリマルで話し歌う園児たちのかわいらしさ、ウリマルを自分の言葉として、生き生きと作文に表現してみせる初級部の子供たちにかかったら、もう「マイッタ!」というしかない。 いったいどういうふうに教えたらこうなるのか。取材を重ねる過程でわかったことは、民族の言葉や歴史を単に知識として教えるのではなく、その土壌となる文化、情緒、思考習慣への理解までをも含め、自然に身につけてゆくプログラムの確立である。 例えば、昔話の語り聞かせ(読み聞かせ)がそのひとつ。明石朝鮮初級学校の金曙愛教員(45歳)が、その効能をかのドイツの文豪に例えていたのが印象的だ。「ゲーテは世界の真理を、大学ではなく幼い頃母のひざの上で聞いたおはなしから学んだと言っています。昔話には、その国や地方に伝来する人々の知恵や、民族の情緒、哲学、魂、すべてが生きている。だから、朝鮮人が作った昔話は、同時に朝鮮人を作るものでもあるんです」。 半世紀を越える長い分断の歴史を超えて、民族が再び1つになろうというこんにち、異国で育つ「4世」たちが、その一員として申し分ない人材に育っている。目の当たりにするのは、まさに奇跡のような現実だ。(姜和石記者) |