春・夏・秋・冬

 新たな100年の最初の年を迎えた。時はいつも流れ続けていて、目に見える区切りというものはない。昨年から今日にかけ、何も変わっていないではないか、といえばそれまでである。だが、ただ流されるだけでなく、あえて区切りをつけて旧年の非を戒め、今年こそはと、心機一転をはかるというところに昔からの朝鮮の人々の知恵がある。「始めが半分だ」ということわざもあるように、とにかく始めさえすれば、成功する可能性は半ば見えたも同然だ

▼この月、何をするにも「初」「始」をつけることを心掛ける。書き初め、読み初め、仕事始めなど、平生とは違う、精神のはずみのようなものを感じとりたい。これからの1年、個人や家庭の生活、また国や同胞社会のあり方はどうなるだろうか。「考え初め」をしておきたいところである

▼年末、「クリントン米大統領、訪朝断念」「朝銀近畿の破たん」などのニュースが報じられた。しかし、全国大会に初出場した大阪朝高サッカー選手たちの活躍ぶりを見た同胞たちは今年、「こうしたい、ああしたい…何か実りあるようなことをしたい」と、様々なことを「考え初め」たと思う

▼まず自分がどういう生き方をするのかを決めることが大事だ。同胞社会をめぐる様々な問題について自分にできることは何かを1人ひとりが探ってゆく、という姿勢が必要なのではあるまいか

▼出身地(大阪)でいろんな同胞から本紙に対する意見を聞いて、企画力と取材力のいっそうの向上がなくてはならないと思った。「実行は足元から」「言行一致」である。(舜)

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