米バレエ団で活躍 同胞バレリーナ
―――――――高美華さん(24)

朝鮮舞踊で身についた
個性ある表現力が武器


 プロへの道は平坦ではない。勝利を手にした者だけに与えられる世界だ。現在、米国でバレリーナとして活躍する高美華さん(24)も、東京朝高卒業後、ヨーロッパとアメリカでオーディションを重ね、プロデビューした1人だ。(李明花記者)

アルバイト、オーディション、レッスンの生活

 14世紀にイタリアで始まり、フランスで宮廷舞踊として発展したバレエ。18世紀に劇場芸術としての地位を確立し、ヨーロッパに広まった。プロへの道は、幼少からの英才教育、そして訓練に耐え抜くことが不可欠とされる。

 高さんは、姉の影響で5歳からバレエを始めた。東京朝鮮第九初級学校入学時から本格的にクラシックバレエを習う。初級部5年から東京朝高3年までの7年間は、日本でもトップクラスの松山バレエ団で清水哲太郎氏に師事した。毎日の激しい練習でトゥ・シューズはすぐに擦り切れた。

 その一方で初級部2年からはサークルで朝鮮舞踊も始め、初級部4年の時(87年)には、在日同胞学生が初めて参加した朝鮮での「迎春の集い」公演に最年少で出演。故金日成主席の前で踊った。高級部の3年間、フェアリー朝鮮舞踊研究所にも通った。1週間のほとんどをレッスンに費やす、まさに「バレエ漬け」の日々だった。「高級部時代の授業中、机の下でバレエの本を読み、先生に怒られたこともある」と笑う。

 東京朝高卒業後は、プロを目指し基礎を学び直すため、世界的に有名なモナコ王立モンテカルロ・バレエ学校に入学した。家族の心配をよそに、その後もヨーロッパ各地を周り、ロシア・ボリショイバレエ団などで舞台に立った。

 世界中から夢を求めて集まったバレリーナの卵たちがオーディションを受け、実力を認められてこそ舞台に上がることができるバレエの世界は、想像以上に厳しく、つてやコネなどいっさい通用しない、技術一本の世界だ。

 ある日、ミュージカルのオーディションで、「審査員に 歌を歌え と言われた。一瞬頭の中が真っ白になったが、口をついて出て来たのは朝鮮の 愛国歌 だった」。その経験を通して、12年間民族教育の中で育ってきた自分を確認した。

 力不足でオーディションに落ちたことも少なくない。約20年間バレエ中心の生活を送り、涙を流したこともあるが、家族の応援、期待に答えたい――その思いが心の支えになり、「やれるところまでやってみようと決心した」。

 アルバイトで生活費を稼ぎながら、短期間の募集を受け、契約が切れたらまた次のオーディションに向かう日々が続いた。「もう一度勉強し直そう」と、高さんは米ボストンバレエ学校に入学。卒業後ボストンバレエ団やコネチカットバレエ団で3大古典バレエの1つ、「くるみ割人形」や「海賊」などの舞台に立った。

 そんな日が続くなか、昨年8月、振付家のジェームズ・セウェル氏によって90年に設立された「ジェームズ・セウェルバレエ団」のオーディションを受け、世界各国から200人以上の応募者中、数回におよぶ審査を通過し、唯一選ばれた。

 「運も良かった。本当にうれしい」と喜ぶ。

 同団はクラシックバレエにジャズやロックを組み合わせた創作舞踊が中心で、全米で高い評価を受けている。契約期間は30週間。

 採用時、「踊りがとても自然」と評価された。

 「2足のわらじ のおかげ。朝鮮舞踊を続けてきたことで、バレエにはない表現力がついた。その個性が自分の最大の武器」と語る。

 高さんは、「在日同胞舞踊家を目指す後輩たちの希望の星となれたら」と、冬休みはフェアリー朝鮮舞踊研究所で習う後輩の指導にあたった。

 現在、3月にニューヨークで行われる公演で、ソロを踊るための準備を進めている。

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