それぞれの四季

しなやかに生きたい

康明淑


 「思いがけない人」から、「思いがけない贈り物」が届いた。贈り主は23年前に他界した母。贈り物は、その母がつくった朝鮮人参酒。

 年始に実家を訪れたとき、納戸の奥から出てきたと、兄が持たせてくれたものだ。私は早速、似合いそうな密封のガラス瓶を選び、この贈り物を移し替えた。琥珀色の液体の中に直径3〜4センチほどの朝鮮人参が3本、ちょっと窮屈そうに重なり合っている。母の手で作られたものが、20余年経って、いま自分の目の前にあることが、とても不思議な気がする。

 長い髪を後ろで束ね、水色のチョゴリを着て授業参観に来る母が好きだった。「やさしそうなオモニね」と、友達によく言われた。

 女性同盟の仕事をしていた母は、外では笑顔を絶やさない人だったが、家ではしょっちゅうカミナリを落としていた。たいがいは私や妹が原因だった。でも、訳もなく叱られた記憶も残っている。仕事、生活、子供のことなど、母の「ストレスの素」はつきなかったのだろう。五十路を前にして、ふと自分の半生を振り返り、悩み、焦り、立ち止まる、母にもそんな時があったのではないか。

 母と「同年代」になった今、私はようやく母を1人の女性として見つめている。

 その生き方を見習ったわけではないが、いつしか私も四六時中外を飛び回る日々を送っている。このごろ、娘たちに小言する口調が母に似てきたなと、自分でも思い、苦笑いしてしまう。そろそろ私も母の歳を越す。寂しいが、もう、「お手本」はない。行きつ戻りつ、短命だった母の分まで、しなやかに生きていきたい。(会社員)

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