在日朝鮮人の歴史Q&A

大村収容所とは?

南へ強制追放のため設立/まるで刑務所、捕虜収容所


大村収容所の外観


 大村収容所とは何ですか?

 大村収容所は朝鮮戦争の避難民や外国人登録令に違反した同胞を収容し、南朝鮮へ強制追放するために設立された施設です。1950年10月1日、針尾収容所として始まり、12月末に大村の元海軍航空工廠跡地に移転して現在になりました。

 初期の収容人員は常時4、500人で、最も多いときには1500人が収容されていました。ここから集団送還された同胞数は、50年代だけでも1万人以上にのぼります。被収容同胞には刑務所や捕虜収容所と同様な、過酷で非人道的な待遇が行われていました。

 収容所の周りは鉄条網と高いコンクリートの塀で二重に取り囲まれ、鉄格子の付けられた部屋は溢れる人数で身動きできず、食事や医療も不充分でした。しかも52年5月以降、送還者のうち「終戦」前から在留者で追放された者の受入れを南朝鮮政府が拒否したため、劣悪な環境で多くの同胞が長期収容を余儀なくされました。

 このような状況を打開するため被収容者たちは即時釈放と待遇改善を要求し、再三抗議集会を開きますが、当局はこれに対し武装警官を導入して弾圧し、多数の死傷者まで出します。それでも同胞たちは遺書を書いて「死の断食」闘争を決行していきます。

 58年以降、被収容者のうち「戦前」からの在留者が仮放免されます。と同時に56年から中断されていた強制送還が開始されるのですが、当時多くの同胞が南朝鮮での迫害を恐れ、共和国を帰国希望地としていたにもかかわらず、南へ送還され、過半数が情報警察に逮捕されるという事件が起きています。その後のたたかいで帰国地選択の自由が認められ、100余人の被収容同胞が共和国への帰国船第1便に乗船できました。

 60年以降の大村収容所は、単なる在日朝鮮人追放の施設としてだけではなく、南の軍事政権から逃れてきた人々を再びそのもとへ送り返す南朝鮮の出島、反共の場と化していきます。(金大遠、研究家)

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