米軍基地撤去!  手をつなぐ「韓国」・沖縄の女性たち

続発する犯罪、女性への暴力  東アジアに「人間の安保」を


 フィリピン・「韓国」・アメリカの女性たちと共に「軍事体制に反対する東アジア・アメリカ国際ネットワーク」に取り組む那覇市の市議会議員・高里鈴代さんが、米国での「同時多発テロ事件」後の9月16日、東京の集会で講演し「いかなるテロも許されない。そして軍事攻撃による応酬も、さらなるテロを生む温床であり、絶対に許されない」と訴えた。この集会は駐「韓」米軍施設の撤去を求める村人たちの生活権、生存権をかけた闘いを撮ったドキュメンタリー映画・梅香里(韓国)上映フォーラム。高里さんは「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表でもある。

 高里さんが13人の女性たちと共に、2週間の米国へのピース・キャラバンへと発ったのは、96年2月。過去50年にわたる沖縄駐留米軍の犯罪を、女性の視点から訴えていくのが目的であった。

 95年、沖縄県がまとめた「沖縄の基地の現状と課題」では、基地被害の一項目として初めて復帰後から23年間に、4716件の米軍軍人・軍属による事故、犯罪があったことが明らかになった。「最も被害の多い女性への暴力を単に兵士の個人的な犯行として基地被害から切り離してきたのはなぜか。そのような意識が、沖縄の基地撤退の運動をにぶらせる原因になっていないだろうか」と疑問に思ったと高里さん。

 ピース・キャラバンが普通のアメリカの人々に、安全とは、有事とは、軍隊とはを問うことは実は、沖縄の内部でも問われねばならないことだった、と高里さんは語る。米軍内部で起きた強かん事件のほとんどが公判にはつながらず、人事部の懲戒免職などで軽く処理されてきたことも米軍資料で裏付けられた。「しかし、最も深刻なことは、沖縄を含め、韓国、グアムやかつてのフィリピンなど駐留地の女性への強かん・人権侵害が、経済格差とその社会の性差別的習慣にも支えられ、慢性化していることだった」

 この米国へのピース・キャラバンで「韓国での米軍犯罪」を知った沖縄の女性たちも多かった。駐「韓」米軍による犯罪は45年、9月8日の仁川に米軍が一歩を印した瞬間から始まり、現在までに10万件を上回っている。これは年平均2200件、1日平均5件に達する。しかも、その犯罪は殺人、強盗、強かん、暴行、詐欺、窃盗、密輸、麻薬、放火などあらゆる重大な犯罪から、基地の環境汚染、PX不法流出を通した巨大な闇市場の形成など、広範囲な形態に及ぶ。(「駐韓米軍犯罪根絶運動本部=略・運動本部」調べ)

 基地の受け入れ国は、米軍によって日々の暮らしを脅かされている。米軍の軍事射撃訓練に反対し続け、60年目の闘いに入ったプエルトルコのビエスケ島の住民たちは、基地から出てくる有害性化学物資のために皮膚病やぜんそくを患い、がん発生率もほかの地域よりも26%も高いという。そのビエスケ島の住民たちの苦悩。

 さらに米軍が撤退した後もアスベスト(石綿)中毒にむしばまれるフィリピンの労働者たち。地球上のあらゆる場所に点在する米軍基地で軍人の性暴力を受け、後遺症におびえる女性たち。

 世界中の米軍犯罪と人権侵害に取り組む人々との出会いによって、高里さんたちの訴えは、国際的な輪を広げていった。

 「運動本部」前事務局長の鄭柚鎮さん(32)と出会ったのもこの運動を通して。

 92年10月、米軍兵士に殺害された若い女性ユン・グミさん(当時26)の猟奇殺人事件をきっかけに設立された「運動本部」は、米軍犯罪通報センターを運営し、犯罪による被害者、基地の街の売春女性、環境汚染に悩まされる住民を支援する活動に取り組む。鄭さんは沖縄、アメリカ、オランダでのさまざまな国際会議で、米軍人による凶悪な性暴力の実態を明らかにし、軍隊のない平和な世界をめざそうと訴えてきた。

 国の枠を超えて、問題を共有しようとする女性たちの出会い。鄭さんは99年から沖縄大学に留学しながら、この地の平和運動を学んだ。そして「運動本部」平和教育委員会委員長にも就任し、今秋からは平和教育を学ぶためアメリカに留学中だ。

 「米国内では到底考えられないことが、米軍が駐留する国々のいたる所で白日夢のごとく行われている。『安保・軍事主義』は民族差別を生み、自分が生き延びるためには他人を踏みつけにする構造を持ち、そのための軍隊は暴力を正当化する、組織された侵略集団である。従って、軍事基地の周辺に暴力や差別は必然的に起こり、人間の自由と平等、可能性、幸福や愛は破壊される」(沖縄タイムス昨年8月14日付)と鄭さんは強く主張している。

 高里さんがこの日の集会で「軍事基地を背負う沖縄や韓国の涙と苦難を終わらせ、平和を願う人々の輪を広げ、軍事力に頼らない『東アジアにおける人間の安全保障』を築きたい」と訴えると、会場いっぱいの200人ほどの参加者から大きな拍手が送られた。(朴日粉記者)

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