留学同祖国訪問ツアーに参加して


 夏休みを利用して祖国、朝鮮を訪れた日本の大学・専門学校に通う同胞学生。8月10日から9月3日までの約1カ月間にわたって祖国に滞在した学生らが寄せた投稿を紹介する。

民族性強く認識

 自分らしく、誇らしく、明るく生きる生き方を探すために、私は朝鮮を知る必要があった。朝鮮を知るということは、歴史を知り、言葉を知ること。つまり、祖国、民族性を知るということだ。

 今回祖国にやって来て、祖国とは、民族性とは何かを考えた。朝鮮は、民族性をどこの国よりも強く認識し、それに深い誇りを持っている。平壌市内に存在する数々の建造物がそれを物語っている。

 信川博物館(黄海南道)は、米軍の侵略の生々しさ、恐ろしさをありありと示している。米軍が自民族を抹殺しようとする時、人々はどのような思いで民族性を守ろうとしたか、博物館がそれを訴えながら、民族性を大切にし、民族の自主を勝ち取ることの大切さをアピールしていたと思う。

 朝鮮で民族性をとくに感じたのは、音楽が聞こえてくるとすぐに歌を口ずさみ、踊りだすことだ。現地の人々との交流では、必ず歌を歌うコーナーがあった。日本では人前で歌うことを恥ずかしいと思っていたが、祖国ではそんな思いは消えていた。統一を願う歌、民謡などさまざまなジャンルの歌を歌ったが、歌を歌うこと自体が祖国に来て好きになった。そのような場面を通じて、朝鮮民族とはどのようなものかを感じることができた。

 朝鮮の歴史について初めてわかったことも多かった。ウリマル(母国語)もろくに話せず、つねに通訳を通してしか人々の話を聞けないことが悔しくてたまらなかった。今回の訪問を通じて、朝鮮民族としての性質を取り戻そうとする力が湧いてきた。(徐成源、青山学院大学4年)

温かい国を実感

 私が祖国を訪問しようと思ったのは、自分の目で祖国を見てみたいと思ったからだ。

 実際に見て感じた祖国は、行く前に感じていたのとは異なり、とても温かい国だった。もちろん、生活水準は日本より低く苦労も多いが、人々の表情は幸福そうだった。物質的には恵まれなくても不満一つ言わない。

 私は今回の訪問を通じて、ウリマルと歴史知識の問題について深く考えた。

 中級部まで朝鮮学校に通っていたので、会話や聞き取りには不自由しないと思っていたが、解説を聞いたり、現地の人と話をしても理解できないことが少なくなかった。歴史に関しても同じである。

 日本では、自分が見た正確な祖国の姿を日本の友人にも伝えていきたいと思う。そして、朝鮮に対する彼らの誤解を解き、これまで偏見を持っていた人も朝鮮に理解を示すようにしていきたい。また、同胞の友人、後輩には自分の国に誇りを持ってほしい。(文琴実、ノートルダム清心女子大2年)

価値観同じ人間

 大学に入り留学同に出会うまでは、日本人と変わりなく、祖国に対してよくわからない怪しい国というイメージしか抱いていなかった。いろいろ勉強するうちに、悪いイメージや偏見はなくなったが、自分の祖国という感覚は持てずにいた。これは日本学校出身者なら誰もが感じていることだと思う。祖国に行こうと思ったのは、そんな「謎で遠い祖国」をとりあえず自分の目で見て、知ってみたいと思ったからだ。

 実際に朝鮮の人々と触れ合い、その純粋さとひたむきさ、温かさに触れるうちに、私と祖国の人々との距離が短くなった。同じ民族であることをしっかり感じるようになった。

 出会った祖国の人々は、1990年代後半の「苦難の行軍」時代を振り返りながら、「しんどかった。それでもがんばった」と話していた。辛い時期だったが、それでも国のため、民族のため、未来のために頑張ったと語った。

 祖国の人々も私も、苦しい時は苦しいし、感じ方や価値観は同じなのだ。当たり前のことだが、これまでは自分の中でどうしても実感できずにいた。それまで同族であるという認識はあっても、壁があった。

 だからこそ、「しんどいものはしんどい」と話すのが新鮮だった。自分と同じように感じる人々が身近に思えてきた。祖国を理解するスタートラインは、自分と祖国の人々を同じ立場に立たせて考えることだと思う。

 これからは在日同胞の問題や統一問題について考えていくうえで、祖国と自分とのつながりを視野に入れて考えていけると思う。異なる2つの制度の統一とだけ考えるのではなく、帝国主義に奪われた民族自主を回復するものととらえ、それを軸に考えていける。

 また、祖国の存在を踏まえたうえで在日の民族心についても考えていけると思う。(許武泰、同志社大学2年)

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