ウリ民族の姓氏−その由来と現在(14)

朝鮮の学者、姓氏496と指摘

種類と由来(1)

朴春日


 まずはじめに、現代におけるわが民族の姓氏数を確かめておこう。

 最近、朝鮮の歴史学者であるチョウ・フィスン氏は、李朝時代の「★(央の下に皿)葉記(アンヨプキ)」(李徳懋著)が、わが国の姓氏数を486姓としたことにふれ、「現在まで明らかになった姓氏の数は、それよりも少し多く496姓である」と述べている。

 一方、南朝鮮では1992年の「国勢調査」によって、姓氏の総数を259姓と発表したが、この数は1980年、いわゆる「朝鮮総督府」が公表した250姓とほぼ同じである。

 なぜ、南北で姓氏数が異なるのであろうか。考えられるのは、調査の時期と対象、調査の基準と方法などが異なるからであろうが、いずれにせよ、南北全体の正確な姓氏数はやはり、わが民族の自主統一後の課題ということになろう。

 ところで、かつて日本の識者たちは、朝鮮の姓氏数が500未満であることから、よく「数が少ない」と指摘したものである。

 確かに、「姓氏大国」でもある日本では、なんと27万の姓氏数が唱えられたこともあったのだから、それに比べれば、わが方の数字はなるほど足元にも及ばない。

 日本姓氏学の泰斗である丹羽基二氏は、「世界中で日本の姓氏ほど数の多い国もなく、また複雑な国はないだろう」(「姓氏の歴史と謎」)と指摘し、具体的な調査結果として、13万5000の姓氏が確かめられた、と述べている。

 なぜ日本にはこんなに「苗字」が多いのか。それは「明治維新」直後の1870年、時の軍閥政府が平民層に苗字を強制したことが発端で、これは徴税と徴兵を狙ったものといわれる。

 このとき、平民層は漢字を知る寺の住職や物知りの家へ駆け込み、「苗字を頼む」と頭を下げたが、あまりにも数が多いため、作る側はタネ切れとなってしまった。

 そこで苗字の粗製乱造と相成ったが、果ては、お茶の銘柄である青柳・喜撰(きせん)・鷹爪・宇治だとか、「徳川四天王」の苗字まで動員された。また鹿児島の指宿では、鰻(うなぎ)の池があるからと、村中が鰻姓になったり、愛媛のある地方では村ごと魚や野菜、網具の名前が苗字になったという(石井研堂著「明治事物起源」ほか)。

 すでに述べたように、朝鮮民族の姓氏は始祖の血統と本貫を根源とし、それを不動のものとしているため、日本のような「苗字づくり」はあり得ない。

 ちなみに、ヨーロッパ諸国の姓氏数は合わせて約5万、最多といわれるフィンランドでも約3万である。

 ところが人口12億の中国は、意外にも4657姓(王圻著「続文献通考」)と少ない。やはり血筋と出身地を基本にすえているからであろう。(パク・チュンイル、歴史評論家)

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