春・夏・秋・冬

 以前本紙で連載していた「わがまちウリトンネ」。同胞たちがその地域になぜ多く住むようになったかを、1世の証言をもとにつづったものだが、その取材先で1世が異口同音に語っていたのが民族教育の大切さである。そのため祖国解放後、彼らが真っ先に行ったことの1つが国語講習所を立ち上げることだった

▼文芸同顧問の朴鍾相氏が本紙朝鮮語版に寄せた寄稿(15日付)によると、東京でいち早く出来たのは戸塚ハングル学院(新宿)、荒川朝鮮語講習所(三河島)、板橋朝鮮語講習所(板橋)だった。当時は講習所と言っても立派な校舎があるわけではなく、バラック建ての集会所などを借りることが多かったと聞く

▼在日朝鮮人聯盟(朝聯)の指導のもと、各地にあった国語講習所が初・中・上の3年制初等学院に改編されたのが46年4月。そして同年10月に東京朝鮮中学校が創立されたのを機に、中等教育が実施されることとなった

▼東京朝中1期生のある同胞は、「窓もない倉庫のような校舎だったが、朝鮮の歴史や朝鮮語を勉強することで民族の誇りを感じることができた」と語る。それから55年が過ぎ、粗末なバラックも立派な鉄筋に変ぼうした。異国の地で、55年もの長きにわたって民族教育が続けられていることは、ギネスブックものだろう

▼東京朝鮮中高級学校では27日、日本の人々も招待して文化祭などの記念行事を行う。学校沿革の紹介や美術作品の展示、朝鮮料理の販売、スポーツイベントなどを予定している。この機会に多くの人が訪れ、朝鮮学校に直に触れてほしいと思う。(聖)

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