現場から−李原絵(留学同兵庫地方本部委員長・26)

同胞患者に「真の解放」を

岡山のハンセン病療養所を訪れて


 岡山県瀬戸内海の長島には邑久光明園と長島愛生園という2つの国立ハンセン病療養所がある。

 先日、留学同の学生と卒業生有志たち10人でそこを訪れた。

 本州からは長島大橋を渡って行く。全長135m、車なら5分とかからない。長い闘争の果てに1988年に離島と「社会」をつないだその短い橋を、入園者たちは万感の思いを込めて「人間解放の橋」と呼んでいる。

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 日本政府は「らい予防法」によって約90年間、ハンセン病元患者たちを療養所という名の強制収容所に隔離してきた。ハンセン病患者とその家族は日本政府の非人間的な隔離政策により不当に忌み嫌われ、治療薬が開発され同法が撤廃された今も彼らへの偏見と差別は是正されていない。

 現在、光明園には37人、愛生園には80人の在日朝鮮人が暮らしている。日本人口の0.005%に過ぎない朝鮮人がここでは15%以上を占める。「貧困病」とも呼ばれるハンセン病。植民地当時、強制連行された朝鮮人の生活苦を如実に反映している。彼らは療養所内では朝鮮人として、同胞社会からはハンセン病患者として差別を受けてきた。

 光明園の崔南龍さんは外国人登録証の指紋押捺拒否運動を振り返り、ともに闘えなかった当時の悔しさを語ってくれた。ハンセン病の元患者たちは手や指を損傷することが多く、そのため患者たちの指紋押捺は免除された。「同じ朝鮮人として、自分たちには闘う権利すら与えられなかった」。

 愛生園の金泰九さんは「間違っていることに声をあげ、行動しなければ何も変わらない」と今も全国各地を講演して回る。私たちが用意したキムチと餅をおいしそうに食べ、チョゴリを着てウリノレを歌うと最後まで拍手をしてくれた。「言葉にしなくてもわれわれ同胞同士、伝わるものがある。若い世代の同胞たちとこんなにもいろんな話をしたことは今までなかった。本当にうれしい」。私たちがハラボジ、アボジと呼ぶとうれしそうに目を細めた。

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 差別の潮流は弱者から弱者へと流れ落ちる。

 同胞社会においても、性別、年齢、身体的障害、経済状況などの差異や格差は、私たちを抑圧する側と抑圧される側に区分する。

 近年同胞社会では、障害者、無年金高齢者、被爆者問題に対する取り組みが積極的に行われているが、まだまだ未解決の問題は多い。ハンセン病患者に対して同胞社会では高齢者は偏見、若い世代は無知という両極端の傾向が見られる。患者の年齢が平均75歳を超えることからおそらくあと20年もすれば風化するであろう今の事態に対し、傍観は罪であることを改めて認識した。

 「光明園の牧野園長から『慰問ではなく、交流を』、入園者の方から『肩の力を抜いて楽しんでほしい』と言われた。偏見を解くにはまず仲良くなること。それはハンセン病だけでなく、すべての差別問題に共通すると感じた」(同志社大学2年・許武泰)

 「差別は代々受け継がれている『悪い文化』。これからの時代を担う僕たちがそれを断ち切りたい」(花園福祉大学2年・徐康輔)

 施設を訪れた学生たちと新たな決意をした。

 同胞患者らは日本の植民地支配、強制労働、療養所への終身隔離などの二重、三重もの差別の中で苦しみながらも民族、人間としての尊厳を守りつづけてきた。彼らが本当に「人間解放の橋」を越え、真の解放を迎えることができるよう、私たちも声をあげてともに闘わなければならない。

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