京都コリアン生活センター
「エルファ」奮闘記(4)
喜びと悲しみ分かつ場
ぬり絵に熱中するハルモニら
(京都市南区のデイサービス施設で)
2ヵ月に1回誕生会
「エルファ」のデイサービス施設には毎日10〜20人のハルモニ、ハラボジらが訪れる。 多くの1世がここで明るさを取り戻したが、なかでも印象深いのは2ヵ月に1度開かれる誕生日会だ。 ハルモニらはメイクアップアーチストにきれいに化粧をしてもらい、華やかなチマ・チョゴリに身をつつむ。生活に追われてきたハルモニらには、今まで自分のための時間などなかった。中には紅をひくのは嫁入りする時以来だという人もいる。 今年84歳になる李今述さんは、3人の息子と夫に先立たれ、現在1人暮らし。「なぜ私一人だけが生きているのか」が口癖だった。ブーケを手に、記念撮影をする李さん。そばで見ていた李さんの友人は、「彼女には息子を失ってからは誕生日などなかった…」と涙を浮かべていた。昔なじみの友人と喜びと悲しみを分かちあえる場、それが「エルファ」だと思う。 「エルファ」ではレクリエーションの一環として、ぬり絵や工作、手芸をする時間がある。植民地時代、学校の門前にも行けなかったハルモニたちが、色鉛筆を片手にぬり絵に熱中する姿を見ながら、少しでも青春の日々を取り戻してくれれば、と思う。 「エルファ」を利用する高齢者のうち9割が女性で、その8割は伴侶を失っている。異国の地で貧しさと差別を生きぬいてきたハルモニたち。意志は強く、知恵深い。その彼女たちから私はいつも力と希望を得ている。 障害者の初イベント 今月21日、デイサービス施設の2階にあるハナマダンでは、障害者が参加する初のイベントが開かれた。名付けて「音楽と遊ぼう」。チャンゴやチンなどの民族楽器をたたき、ウリノレを歌いながら障害者と健常者がひとときを過ごした。 障害者問題にも取り組もうと思ったのは2年前、障害児の親から相談を受けたことがきっかけだった。その時、障害児のためには親の精神的なケアが必要だと思った。今春、同志社女子大学で音楽療法を専攻した呉純愛さんを「エルファ」の職員に迎え、家族と話し合うことから始めた。 イベントには55人の同胞が集まった。障害者は3歳から40歳までの5人。24歳でダウン症の女性は同じ障害を持つ幼児に手を差し延べ、肢体不自由の障害を持つ40歳の女性は同胞同士集う安心感からか、終始笑みを浮かべていた。 7月から20回連続で行われた「朝・日バイリンガル手話講座」に講師として協力してくれた、聴覚障害者の金洙栄さんらも夫婦で参加した。参加者中、聴覚障害を持つ同胞女性が話していたことが忘れられない。「あなたたちともっと早く会いたかった。帰化したことを後悔している」――。 現在、39歳以上の同胞障害者は、日本政府の差別政策により無年金状態に置かれているが、彼女は日本国籍を取得すれば年金が支給されると思ったそうだ。しかし、障害者に認定された時点で日本国籍でなければ年金は支給されない。こうした知識が提供できていれば、彼女が帰化することはなかったはずだ。なぜ早く手を差し延べられなかったのか、胸が傷む。 イベントは初の試みだったので、反省点も多かったが、何よりもみんなで「一歩」を踏みだせたことがうれしかった。障害者のために朝青、女性同盟、青商会、留学同などさまざまな団体のメンバーがボランティアとして協力してくれたからだ。 障害者問題のみならず、高齢者問題をはじめ福祉を支える同胞の輪が「エルファ」を拠点に広がっている。NPO法人「エルファ」の会員は200人を突破、来月13日には日本市民による「エルファ友の会」が結成される。 現状に甘んじることなく、この広がりをより広く豊かなものにし、みんなが共に支え合う温かい同胞社会を築いていきたい。(語り・鄭禧淳所長、整理・張慧純記者。おわり) 【京都コリアン生活センター「エルファ」 〒601―8007 京都市南区東九条北河原町5番地(JR京都駅下車徒歩10分) TEL 075・693・2550】 |