グローバル新風

グローバリズムの岐路


 テロ事件以来、グローバリズムに変化が見える。

 テロを警戒した、国際的な監視体制の強化や、消費および移動心理減退などの影響で、グローバリズムの柱である「自由貿易」は自由度を低め、ヒト、モノ、カネの移動も量を細らせている。

 また、テロ事件後に米国は、相次いで政府支出・介入を拡大する政策を打ち出し、全ての事をなるべく市場に任せる「小さな政府」から、介入を深める「大きな政府」へと梶を切っており、グローバリズムのもう一つの柱である「市場主義」も棚上げ状態。

 冷戦後、猛スピードで進んできたグローバリズムが、今回のテロで急ブレーキをかけた格好だが、そもそもテロリズムの発生自体、グローバリズムの副産物とも言われる。

 「貧困や不平等の中で生きるか死ぬかのぎりぎりの生活を強いられたとき、人々は希望を失い、テロリストを生む温床になる」(ウォルフェンソン世界銀行総裁、朝日新聞10月26日付)と言うように、テロの背景には、(貧困層を拡大させる)弱肉強食の米国型グローバリズムが遠因として横たわっている。なので、国際社会が本当にテロリズムの根絶を目指すならば、米国型グローバリズムに対しても、鼎の軽重を問うべきだろう。

 今年度ノーベル経済学賞受賞者のJ・スティグリッツ氏はテロ事件に際して「途上国に利益が行きわたるような貿易体制の構築が必要だ」(日本経済新聞10月13日付)と指摘するが、国際社会はこれを機に、弱者への配分や配慮の仕組みを施した「共存共栄モデル」を構築すべきではないだろうか。正義ある選択が求められる。
(李達英=朝・日輸出入商社pulgasari@yahoo.co.jp

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