1世の介護は2,3世が
山口・下関 同胞ヘルパーによる介護事業がスタート
昨年4月にスタートした介護保険制度は65歳以上の同胞高齢者も対象になるが、言葉や風習の違いから特別な対応が必要だ。無年金状態に置かれた同胞も多く、保険料をどう捻出するかという問題もある。こうしたことに対応するために、各地の同胞生活相談綜合センターでは、市区町村への代理申請や同胞高齢者が利用できるデイハウスの設立など、同胞高齢者の歴史と現状に応じたサービスに取り組んでいる。同胞ヘルパーによる介護事業が始まった山口・下関の動きを紹介する。
地元の日本人医師もバックアップ 字読めず申請できず 総聯下関支部の同胞生活部長を勤める韓朝男さん(48)は介護保険制度スタートを目前に控えた昨年2月、ある日本人医師に言われたことが今でも忘れられない。 「韓さん。1世の介護は誰が見るんですか。言葉も習慣も違う。われわれ日本人には無理ですよ」。下関朝鮮初中級学校の校医を40年間無償で勤めた頴原俊一さん(86)だった。 当時、同校の教員だった韓さんは、長年朝鮮学校のために尽力してくれた頴原氏にこのことを指摘された時、学校の側にある大坪トンネの1世たちの姿が目に浮かんだ。植民地時代、下関には関釜連絡船が往来し、生活の糧を求めた同胞が数多く下り立った。今でも市内に住む65歳以上の同胞高齢者は700人を超え、とくに大坪トンネに集中している。 当時、介護保険に対する組織的な対策は講じられていなかった。そこで韓さんは、25年勤めた学校から総聯本部への異動を機にこの問題に本格的に取り組むことを決め、昨年夏にホームヘルパー2級の資格を取得。そして頴原氏が代表を務める豊関介護サービス株式会社のケア・アドバイザーとして働くことになった。 まずは1世を訪問することから始めた。介護サービスを受ける場合、まずは市区町村に申請しなければならない。しかし、1世の中には字が読めないために市役所から届いた被保険証(申請の際に必要な書類)を捨ててしまったり、被保険証が届いただけで認可されたと思っている人もいた。 そこで韓さんは制度の説明をし、必要書類をそろえ代理で申請をした。同社の介護サービスを受ける同胞は25人。ほとんどが韓さんの申請によるものだ。 5人の同胞ヘルパー 韓さんが日本の会社に籍を置く形を取ったのは、「同胞の介護は同胞が」という頴原氏の理解と協力があったからだ。介護事業のほかにも病院や老人ホームを経営する武久グループで福祉問題のノウハウを学びたいという気持ちもあった。 武久グループでは同胞ヘルパーの育成が急務との観点から、ヘルパー養成講座の50人の定員のうち、10人程度の「在日同胞枠」を設けている。授業料も半額免除される。ここで総聯下関支部の職員や同胞が資格を取得。そのほかにもすでにヘルパー資格を持つ同胞が同社の職員として登録し現在、同社が抱える同胞ヘルパーは5人に増えた。韓さんは同胞高齢者の介護サービスを全面的に任されている。 「日本人ヘルパーが誠心誠意尽くしても、在日の高齢者がやすらぎを感じられない。言葉の壁もあるし、料理も口に合わない。韓さんのような同胞が必要でした」(豊関サービス株式会社の三崎成総括部長) ヘルパーの趙徳任さん(47)は、以前はほかの場所で介護の仕事をしていた。現在、訪問介護に赴く大坪のハルモニらは幼い頃から世話になった人たちで、「みんな親のような存在だ」。以前から民族団体が介護問題に取り組まねばと思っていただけに、同胞ヘルパーが増えて嬉しいと語っていた。 しかし、まだまだヘルパーは足りない。韓さんは、市内の同胞たちがヘルパー講座を受講するよう積極的に働きかけている。 みんなに会いたい
同胞による訪問介護サービスは1世に好評だ。病院や大好きな温泉に連れてってくれてありがたいという声が次々と寄せられている。 「オモニー。アンニョンハシムニカ」。10月はじめ、韓さんは同社の介護サービスを受けている「命順さん(80)を訪れた。 7月に夫を亡くした「さんは、最近元気がなかった。夫の看病で腰を悪くし、大坪のハルモニらが集う分会事務所にも長く足を運んでいないからだ。「やっぱりみんなと会いたい。だけどしんどくて…」。 「友だちに会いたい」というのは、「さんだけではなく1世に共通した願いだ。同胞ヘルパーたちは近い将来、1世が集えるデイハウスのようなものを建てたいと思っている。(張慧純記者) |