取材ノート

広い世界


 小・中学校を韓国学校で過ごしたというある大学生が、先日開かれた東京朝鮮中高級学校55周年記念イベントに来た。朝鮮学校を訪れる機会はこれまでなかったという。

 文化祭に参加して各教室を見回り、記念公演を観覧し終わった彼に、感想を聞いてみた。いろいろと語ってくれたのだが、印象に残ったのは次の部分だ。

 「帰り際に女子生徒が一生懸命『アンケートにご協力ください』と言っていたのが印象的でした。今まで聞き知っていた民団経由の総聯イメージとはずいぶん違っていたので」
 正直言って意外、少し衝撃的だった。いったいそこではどんな総聯イメージが流布されていたのだろうか。閉鎖的?  怖い人々?時は6.15よりはるか以前、たとえ「組織対組織」という構図の中でそうした部分があったとしても、子ども同士の世界、それも同じ在日同胞の子どもに対してそうしたイメージ作りが行われていたのだとしたら、とても残念なことだ。少なくとも私は、韓国学校や民団にそのようなイメージを抱かされてはいないつもりだ。

 人の生活というものは重層的かつ多面的で、社会、そして世界と地続き。実はいつも、外に向かって開かれている。それは子どもだって同じ。一定の情報で囲い込むことは不可能なはずではないだろうか。そう思うからこそ、彼の発言は意外だった。自分の目で、それもいろいろな角度から見る、自分の手で触れる、そして考える。それが大切だ。

 先日見た、在日同胞を扱った直木賞作品を映画化した話題の映画。在日1世の父が若い2世の息子に「広い世界を見ろ」と言う。父は、(たぶん)そのために国籍も変えさせる。でもずいぶん、「狭い」エピソードに思えた。私たちは、もともと広い世界に立っている。それに気づくか気づかないか、その違いだけだ。(東)

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事