コリアンとして生きる(3)


朝鮮人として向き合う/自分、民族を否定しないために

龍谷大学法学部3回生 ゙民艮

 心の中にある民族心を養う過程は十人十色さまざまあると思うが、小学校から広島の日本の学校に通ってきた私は、民族というものに正面から向き合う機会がほとんどなかった。ただ、幼い頃から家では「アボジ」「オモニ」と呼んでいたので、朝鮮人であることは自覚していた。それが小学校5年生の頃からは、朝鮮人であることを過敏に意識するようになった。

 本名の日本語読み「ソウ・ミンコン(゙民艮)」で学校に通っていたので、自分は周りと何かが違うということを意識し始め、「自分は異質な存在ではないか」と、屈折した感情を抱くようになっていたからだ。一時は、自分のことを「運の悪い人間」だと思ったし、朝鮮人だとわからないような「日本名に変えたい」とまで思ったことも、1度や2度ではない。

 そんな自分に民族心が芽生えるようになったのは、京都の大学に朝鮮語読みの「チョウ・ミングン」で入学してからだ。朝鮮語読みに変えようと思ったのは、「ソウ・ミンコン」でも「チョウ・ミングン」でも朝鮮人であることはすぐにわかってしまうと思ったからだ。

 すると、さっそく留学同から誘いがあった。日本名に変えたいとまで思ったものの、朝鮮語読みで暮らすようになった自分に対する答えを出す意味もあり、とりあえず留学同に入ることにした。

 留学同での生活は、自分を180度転換させる契機になった。というのも、留学同には民族学校出身者、日本学校出身者、日本国籍を持つ者、ダブルの者などさまざまなバックグラウンドを持つ同胞学生たちが集まっており、それまで同世代の同胞と触れ合う機会がほとんどなかった自分にとっては、とても新鮮かつ刺激的なところだったからだ。いろいろな考えを持った仲間と語り合う中で、自然と自分の心の中にある民族というものにもっと深く向き合っていくようになり、その過程で「自分の体に流れる朝鮮人としての血は代えられない」という答えを出すことができた。自分を否定せず、民族を否定しないで生きていくためには、まずは朝鮮人としての自分と真剣に向き合っていくことが大切だということを悟ったのだ。

 これからの人生においては小さな1歩かもしれないが、そうした道を選べたことを幸せと思い、とりあえず学生時代は、自分と同じような境遇のトンムたちを1人でも見つけ、語り合っていきたい。

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事