神奈川の渡来遺跡を巡る

千葉の「金鈴会」第7回歴史探訪


 千葉「金鈴会」では第7回歴史探訪として神奈川の渡来遺跡巡りを4日、講師の在日本朝鮮歴史考古学協会全浩天会長はじめ会員20余人の参加の下で行った。

 一行はまず、港北ニュータウンの横浜市歴史博物館裏側にある、弥生時代中期(2千年前)の環濠集落跡と方形周溝墓群が一体となった大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡を訪れた。講師によると周囲を濠と柵で廻らされた環濠集落は忠清南道松菊里遺跡と酷似し、また木棺を埋めた方形周溝墓は鴨緑江南岸に集中してみられることから渡来系集団の居住域であり、ここは極めて価値が高い遺跡だ。

 つづいて秦野市の桜土手古墳公園に行った一行は、発掘調査した古墳をモデルに復元された1号墳が、横穴式石室を取り巻くように石組みされ、石室の入口は追葬できるよう石を積んでふさいでいる高句麗墓制の影響を直に受けた古墳であることに感動した。

 午後には大磯町にあるおなじみの高来(高麗)神社に寄った後、相模一ノ宮として名高い高座郡の寒川神社を訪れた。神社の祭神が寒川比命、寒川比売命のごとくヒコ、ヒメだけの名で、神話上の神を名乗らないところを見ると、相模地方を開拓した渡来系豪族の祖先をまつった神社であることを隠せなかった証であると講師は説明した。

 神奈川一帯の古墳遺跡の渡来的性格、秦野市が養蚕や機織技術で有名な秦氏から由来し、高来神社の所在地が高麗であり、高座郡のもとの名は高句麗がなまった高倉(多加久良)郡であったことなどを学んだ。(宋潤奎)

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