取材ノート

心のゆとり


 取材を通じて出会った同胞女性の話をしてほしいとの要望を受け、母校の進路講習で話す機会があった。人前で話すという不慣れな体験に加え、200人近い女子生徒たちのまっすぐな目。マイクを握る手は震え、緊張の連続だった。

 講習では、最近感銘を受けた同胞介護の現場を支える女性たちの献身的な働きぶりを話した。学校という限られた生活空間にいる後輩たちに、「違う世界」を知ってほしかった。

 母校だけでなく、朝鮮学校を訪れるたびに授業の準備やクラブ活動の指導のみならず、通学バスの運転などさまざまな仕事に追われる教員の多忙さに胸がつぶれそうになる。

 多忙さの元凶は、朝鮮学校に対する日本政府の差別が根本にある。公的な教育助成が少ない朝鮮学校は緊縮財政を強いられ、教職員数が制限されるからだ。

 だからこそ各地では助成金獲得運動に心血を注いでいるわけだが、現場は待ったなし、教員はつねに生徒の問いに何かしらのヒントや答えを示すことが求められる。大変な職業だ。

 情報が湯水のごとくあふれる時代。生徒たちは大人以上に情報にアクセスするすべを持っているかもしれないが、それに満足しているとは思わない。与えられるものではなく、自分で「何か」をつかみたいと渇望しているからだ。だからこそ、教員たちには広い視野を持って生徒たちに夢を与えてほしい、と切に思う。

 しかし、時間と仕事に追われる日常。自己投資の時間、それを実現する経済的余裕がほしいという悲鳴にも似た声は何度となく耳にした。

 このままでは教員たちには充電する時間もないだろうし、そうなれば生徒にも影響が及ぶ。民族教育自体も豊かさを欠いていく。

 むろん、「時間のゆとり=心のゆとり」と断定するのは短絡的かも知れないが、待ったなしの現場に「ゆとり」を生む手立てはないものだろうか…。(慧)

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