春・夏・秋・冬

 日本社会の中で日本人のように生活する在日同胞が、朝鮮民族の一員としての自己を自覚し、堂々と生きていこうとするまでにはさまざまな道程がある。一貫して日本の教育を受けた筆者の場合、その転機となったのは、高校時代に先日亡くなった歴史家、井上清氏の講演を聴いたことだった

▼米国のベトナム侵略が泥沼化するなか、米空母エンタープライズの佐世保寄港反対闘争が日本の各地で繰り広げられていた67年の初秋のある日、友人から「井上清の講演を聴きに行かないか」と誘われた。敗戦前の日本、叔父が治安維持法によって逮捕され犠牲になるという家庭環境のなかで育った友人のことだから、聴く価値はあるのだろうと、井上清という人物の、なんの予備知識もないまま出かけた

▼会場に着いてまず、立すいの余地もないほどぎっしりと埋まった熱気にびっくり。そのほとんどが同世代の者たちだった。次に、興奮してアジをぶるでもなく淡々と語りかけるような話のその内容に、頭をハンマーか何かで殴られたような思いにとらわれた

▼「差別は帝国主義統治の初歩的な常とう手段」「だから、実力を行使してでも壊さない限り歴史の進展はない」「施しや哀れみ友愛などというものは差別、統治に加担するもの以外の何ものでもない」。在日であることを自覚しながらも、それ以上一歩前に出られず悶々としていた筆者に、その出口がどこにあるのかを示唆してくれた

▼本紙金曜日号7面に掲載されている「コリアンとして生きる」。彼らの今後を見守ってほしいと思う。(彦)

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