人・サラム・HUMAN

「あまりの残虐非道ぶり」

南朝鮮の元ハンセン病施設を訪問・川田悦子さん


 薬害エイズに感染させられた息子・龍平君を支え、その加害責任を国と製薬会社、専門医に問い、闘い続けた川田悦子さん。96年3月の和解後も、薬害エイズの真相究明、医療体制の確立などを訴えてきた。昨秋、衆院補選に当選以降は、国会でも奮闘中だ。

 川田さんが先頃、「韓国」南部の島、小鹿島を訪ねた。その模様を「えつこ通信・6号」が伝えた。

 「島の形が子鹿に似ているところから命名されたこの島に1916年、朝鮮総督府は施設をつくり、ハンセン病患者を隔離していった。40年代には6000人を越す患者が収容されたが、あまりの残虐非道なやり方に自殺者は後を絶たず、かつて患者たちが住んでいたあたりの木々は『ほとんど例外なく首をつった樹木ばかり』ということであった。…うっそうと茂った緑に被われているが、そこに立っていると、深い怒りとあきらめがまじったようなため息が聞こえてくるような気がした」

 日本でもハンセン病患者への非人間的な強制隔離政策は、敗戦後半世紀を経て、やっと法的にも断罪されるようになった。川田さんは総督府が当時、朝鮮人患者に強いた強制労働の凄まじい実態を元患者の話を聞いて明らかにしている。

 患者たちに堕胎・断種・凄まじい強制労働を課した過酷なそのやり方。元患者のハルモニは川田さんに「人間というものはこれほど恐ろしいことができるのでしょうか」と語ったと言う。えつこ通信  TEL  042・522・9008。

「歌は心の宝石」

歌手生活40年  鄭湖月さん

 民族の心を歌いつづけて40年――。

 このほど歌手生活40周年を記念して、リサイタルを開いた。かつては朝鮮の代表的なオペラ「金剛山のうた」の主役を務めたこともある。日本公演では、優れた歌唱力と幅のある演技力で多くの観衆を魅了した。平壌をはじめ、祖国でも人気歌手となる。

 そのスターぶりは、今も健在。情緒的かつ力強い歌声で、同胞たちに親しまれている。歌手であり、母であり、主婦でもある鄭湖月さん。「歌は心の宝石」と言うだけあって、歌うときの表情は、実に生き生きと輝いている。

 「朝鮮の歌で、多くの人に民族の心と歴史、統一への願いを伝えたい」という気持ちは今も変わらない。現在は音楽教室を開き、人々とのふれあいを大切にしている。「バイタリティーあふれるその歌声を今後も同胞たちに聞かせて欲しい」と観衆の声。

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