来日阻まれた被害者に謝罪

元半田市長ら愛知の強制連行真相調査団 訪朝報告集会


 10月7〜15日に訪朝した愛知県朝鮮人強制連行真相調査団(竹内弘団長=元半田市長ほか10人)が11月9日、半田市の半田市中央公民館で訪朝報告集会を開いた。半田市には解放前、旧日本軍の軍用機を製造する中島飛行機半田製作所があり、強制連行された多くの朝鮮人が働かされていた。今年8月、半田市民らは同製作所に連行された被害者のうち確認された唯一の生存者である崔★(广だれに異)天さん(78、咸鏡南道在住)を半田市に招いていたが、日本政府がほかの被害者らと共に入国を拒否したという経緯があり、「日本人として直接謝罪」しようと訪朝したものだ。

真の謝罪と補償へ

前列中央が半田に強制連行された崔さん。後ろが訪朝団一行とメッセージ入りのタペストリー(10月8日、元山)

 新潟から「万景峰92」号で海路元山入りした訪朝団は7〜8日、そのまま元山に滞在し、崔さんをはじめ夫がやはり半田に強制連行された申金女さん(70)、「従軍慰安婦」被害者の郭金女さん(78)と面会し、聞き取り調査を行った。

 また12〜13日には平壌で、仁川の芝浦通信機工場に強制連行された安成徳さん(72)、徴兵され愛知県刈谷・野田地区に「農耕隊」として強制連行された金致隣さん(77)、長崎の崎戸炭鉱などに強制連行された金興基さん(78)、名古屋の三菱航空機に強制連行された李世民さん(73)、徴用船「太平丸」で千島方面に強制連行された黄宗洙さん(75)、「従軍慰安婦」被害者の李相玉さん(75)に面会し、聞き取りを行った。

 ほかにも滞在中、「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会(従太委)や行政当局との話し合いなども持たれた。

 とくに日本政府の不当な入国拒否決定により半田市訪問を阻まれた崔★(广だれに異)天さんに会った竹内・元半田市長ら一行は、日本政府の無礼な振る舞いについて深く謝罪。その旨の謝罪とあらためて半田に招きたいと記した榊原伊三・現半田市長からの手紙と、8月に開いた抗議集会の際に市民らが崔さんへのメッセージを寄せ書きしたタペストリーを手渡した。一行はまた、高齢の被害者たちのために車椅子17台と杖60本を寄贈。従太委に託した。

地方から政府動かそう

 集会で報告した竹内・元市長は、半田における朝鮮人強制連行真相調査の経過や崔★(广だれに異)天氏の存在の確認、8月の入国拒否の経緯について説明したうえで、「9月には米国でのテロもあり難しい時期だったが、入国を受け入れてもらえ、直接会って謝罪ができて本当によかった。半田では1200余人に及ぶ朝鮮人強制連行が明らかになっているが、ほかの市、ほかの町はどうなのだろうか。あまりに多くの地方自治体が調査、追及をきちんとやっていない。消極的な日本政府を、地方から動かしていかなくてはならない。今回、被害者と直接会ってきたが、国が謝罪も補償もしていない立場で彼らを前に言葉がなかった」と述べた。

 今回、団長を務めた竹内・元市長は市長在職当時の約10年前、愛知県朝鮮人強制連行真相調査団や市内の戦争資料収集に努めていた「半田空襲と戦争を記録する会」の協力要請に応え、半田製作所の厚生年金被保険者名簿、殉職者名簿などを公開した。

 その精神は現市政にも引き継がれているようだ。榊原・現市長自ら会場を訪れあいさつし、「私たちの町で55年前に何があったのかをひもとくことは半田に生きる者の義務だ。被害者が来日できなかったため元市長や関係者が現地に赴き被害者に会い、必要な調査をしてくれた。私たちは歴史から顔を背けることはできず、今回の訪朝は半田で何があったかを知るうえで大きな意義を持つ。今後も、日朝友好促進と世界平和に向けて取り組みたい」と述べていた。

 さらに集会では、長年強制連行問題に取り組んできたフォトジャーナリストの伊藤孝司さん、愛知県朝鮮人強制連行真相調査団事務局次長の伊藤啓子さん、日朝協会愛知県連事務局長の小出裕さんら訪朝団メンバーがそれぞれ報告した。

 撮影してきたビデオや写真スライドを上映しながら被害者の証言を紹介した伊藤孝司さんは、「日本が、第2次大戦中に与えた戦争被害に対して唯一何の補償もしていないのが朝鮮だが、現在、両国関係は冷え切っている。こうした状況の中、政府がやっていないことを半田市としてやっていくのは大きなチャンスと言える。朝鮮をはじめアジア諸国に対する謝罪と補償は、日本がどんな国家になるのかを問う日本自身の問題だ。日本政府も国際情勢が複雑な今こそ対朝鮮敵視政策を捨て関係改善に踏み出すべきだ」と述べた。

 関係者たちは、今後も調査、交流を続けるのはもちろん、近いうちに必ず崔さんを半田に招く決意を固めている。(韓東賢記者)

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